こんにちは、雅です。

この記事はマケドニアのオフリドから
アルバニアのティラナに向かう
バスの中で書いています。




サンフランシスコ時代に一緒に遊んだ
古い友人と数ヶ月前にテキスト会話して
こんなこと言われました。

「雅ちゃん、まだ自分探しの旅をしてるの?」

臭い言葉だなぁと、驚いたので

「自分なんて旅したって見つからないさ
そんな意味で旅してるわけじゃないわよ」

と返事をしたものの
今朝荷造りをしながらそんなことを
ふっと思い出しました。

自分なんて探してはいないけど
確かに自分らしい自分を維持するために
何が必要で、何が苦手で、何が好きで
どうすればエナジーチャージできるか
顕著に分かるようになりますね。

そして昔の自分をまだ保っていると思ってたのが
錯覚だったと気づける。

現在の体力と行動の好みで
ちゃんと自分の年代を自覚するようです。

イスタンブールでも起こったけれど
オフリドでも夕方前の4時くらいに寝て
次の朝までずっと眠り続ける
ということがありました。

それでやっと溜まった疲れが解消された。

食事は本当にお腹が空いた時だけなので
朝昼晩とそれらしき時間帯に
食べることもありません。

それがマイペースですもの
そりゃ他人と一緒の旅なんてしたら
疲れるの当たり前です。

普通人には住むところがあって
たまにホリデーで旅行に出かけ
ちょっと無理してでも頑張るものですが
今現在の私はこれが生活ですからね
永遠と続くこれに無理も頑張りもしてられません。




ずっと空を見ています。

東南アジアや中米の旅では
よく夜行バスを使ってましたが
今回は日中に移動することが続いてます。

偶然にも良い天気続きで
視界に大きく広がる空を見つめ
吸い込まれそうな深さを感じながら
その先の何かと繋がっているような
感覚を覚えました。

長距離バスに乗り込むまでの過程が
緊張感マックスなので
この数時間のバスの旅は頭を使わずに済む
ホッとする瞑想のひと時なのです。




「何故旅をするのか」その質問は
登山家に「何故山に登るのか」と聞くのと
多分に同じなのかもしれません。

言葉も通じない、英語の表示もない
そんな土地でローカルバスに乗り込み
道で何人もに尋ねながら目的地までたどり着く
ついこの間まで「そんな奇跡的なこと」
と思えるような行動が自分にできた
それだけで、生きてる実感を確認できる。

そう、目的地ではなく
その「過程」に意味があるのだな
と、理解するのです。




確かに目的地についても
それを味わっている時間は半分で
後は常にその先のルートのリサーチで
頭の中は大忙しです。

それはほぼ「攻略」に近いもので
感覚的には
掘り起こして前進するという感覚に近いです。

やっぱりゲーム感覚かな。

最初見た時にはなんのセンスも湧かない
線だらけのマップが
その土地を出る頃には3Dで浮かび上がってみえる
地図を見なくても歩けるようになる
その違いにとてつもない喜びと
達成感を得るのですね。

あぁ、また思い出しました。

1989年の旅でバルセロナに7週間滞在してた時
ツーリストインフォメーションでもらったマップ
折り目が破れてしまったので
セロテープを貼って大切に持ち歩いてました。

「最後にそのマップが
貴方のバイブルになるのよ」

そうバルセロナ在中の友人が言ったけど
随分粋なことを言ったものだわ。

今現在はスマホに頼り切ってるので
そんな紙のマップなんて持ち歩かなくなったけど
いわばGoogleさんは私にとって
「神」に近い存在です。

とんだ「かみ違い」ですね。笑



マケドニアと言ったらもうこの「映え」が定番。