こんばんは🌙
中大軟式野球部です!

3年生ブログリレー、第10弾✨
(またまた遅延してしまいすみません、)
本日の投稿者は、
「ナニかを秘めた男」
林輝一です!

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はじめまして。
中央大学経済学部経済学科3年の林 輝一(はやし こういち)です。てつろうがどんな紹介文を書いてくれるのか楽しみにしていたのですが、よく意味が分かりません。会ったときに聞きたいと思いますが、いつになるのでしょうか。部活で会える日が楽しみです。
 
このブログリレーのバトンを受け取るのを拒否し続けていましたが、もう後に回すことはできないようなので私もブログを書くことにしました。私は同期にも自分の過去や思いを話したりすることが少ないので、私自身の事と軟式野球部の仲間への感謝を中心に書いていきたいと思います。
 

第1章 中学校以前


私は小学校3年生のときに父の影響で野球を始めました。当時のことで記憶に残っていることは特にないですが、少年野球チームに所属し、多くの人に支えられて野球というスポーツに夢中になることができました。放課後に友人と近所の公園で野球をして遊んだことも楽しかった記憶として残っています。大学生となった今でも当時と同じ公園で集まって談笑できる友人がいることをとても幸せに感じています。

 
小学生の頃は地元である多摩市の少年野球チームで野球をしていましたが、中学では小学校時代のチームメイト3人と共に隣の府中市にある軟式クラブチームで野球をすることを選びました。休日と祝日のみの活動でしたが、自宅からグラウンドまで自転車で片道1時間弱かかること、小学校時代とは比べられないほどの厳しい指導とハードな練習に必死でした。



それでも素晴らしい指導者の方々とチームメイトにも恵まれ、精一杯野球に打ち込むことができました。とても厳しかった監督が「林がこのチームで1番バットを振っている」とミーティングで話してくれたことを今でも覚えています。誰も見ていないところでの努力に気づいてくれる人がいる、中学生の私にとっては嬉しくてたまらない出来事でした。
最後の都大会で優勝、そして私も決勝戦でホームランを打つことができたこともあり、チームも自分自身も最高の結果で終わることができました。もう野球には満足したし、高校で野球をすることはないだろうと思っていました。

第2章 写真映像部から硬式野球部へ

高校は中央大学からとても近い都立高校に進学しました。高校で野球を続ける気持ちが全く無かった私は、写真映像部という部活に入部しました。部活動になるべく入りましょうという校風があったこともあり、活動日も少ないしすぐに幽霊部員になっても大丈夫だろうという前向きとは程遠い気持ちで入部しました。自分から入部してこんなことを言うのは最低ですが、写真や映像制作に全く興味ない私にとってはとても退屈な日々でした。
無気力で退屈な日々を過ごしていくなかで、次第に「このままではいけない」と感じるようになり、1年生の9月に野球部への入部を決意しました。一度は完全に辞めた野球をもう一度やり直すことができたのには1人の先生の存在がありました。
その先生は野球部の監督を務めていた先生です。入学当初にクラスを回って野球経験のある全ての生徒に野球部を紹介するとても熱心な先生でした。私は入学当初、何度も野球部への入部を勧められました。野球をする気持ちが全くなかった私が失礼な態度で断り続けても明るく、そして熱く野球部へ誘い続けてくれました。野球部ではなく写真映像部に入部したので、それ以降は誘われることはありませんでしたが、退屈な日々を過ごすなかで「もう一度野球をやろう」と思えたのには野球部の監督がこの先生であることが大きく影響しています。この先生がいなければ私が野球を続けることはなかったと思います。本当に心から尊敬と感謝をしています。
遅れて入部してきた私を周りも受け入れてくれました。私の学年の部員は私を含めて16人いて他の学年と比べても多く、彼らと共に過ごすことで部活動以外の学校生活の時間もとても楽しくなりました。感謝の気持ちでいっぱいです。



私の高校はライトが守備位置につけないほど狭いグラウンドを他の部活動と分割して使用するくらいだったので決して強豪私立高校のような素晴らしい環境であったとは言えませんが、部員同士で工夫して行う練習はとても楽しい時間でした。野球の実力を監督とチームメイトから信頼してもらえることも私にとってはとても嬉しいことであり、野球部に入って良かったと思えるような出来事をたくさん経験することができました。
最後の夏の大会は監督を務めていた先生がこの学校で指揮を執るのは最後だと分かっていたので、恩返しをするためにも強い気持ちを持って臨みました。普通に初戦で負けました。負けても絶対に泣きたくないと思っていたので負けた直後も平然を装っていましたが、最後のミーティングで監督の先生に握手をして言葉をかけてもらったときに他の誰よりも泣いてしまったことを覚えています。恥ずかしかったです。
顧問の先生とチームメイトのおかげで本当に楽しい高校生活を送ることができました。今でもとても感謝しています。

第3章 人生2回目の途中入部

大学受験は中央大学以外は全て不合格という結果だったので、中央大学に進学することになりました。高校への登下校で毎日のように自転車を漕ぎながら見ていた馴染み深い大学です。
大学で部活動に入ってまで野球をする気がなかった私はサークルの新入生歓迎会にも意外と参加しましたが、人見知りで絶望的にコミュニケーション能力が低い私がすぐに馴染めるようなサークルはなく、結局どこにも所属しないまま1年生の前期を過ごしました。地元や高校の友人が新しいコミュニティを見つけていくなかで、私は退屈で淡々とした毎日を過ごしていました。
高校の野球部を久しぶりに訪ねたときに野球部の顧問を務めていた若い先生と話す機会がありました。その先生は中大軟式野球部のOBでもあり、サークル活動などは何もしていないと話したら軟式野球部に入部することを勧められました。
正直このままの大学生活を続けていても特に何も得られることがないと感じていたので、高校時代のようにまた野球をやり直せば充実した学校生活を送れるかもしれないと思い、1年生の9月に軟式野球部に入部することにしました。
 
軟式野球部に入部するまでのことを振り返りましたが、途中入部2回という自分でも意味の分からない野球人生を送っていました。
高校も大学も、最初から野球部に入れば良かったという後悔よりも途中からでも野球部に入る選択ができて良かったという気持ちが圧倒的に強いです。野球を続けていなかったら出会うことができなかった素敵な人たちとも出会うことができました。大学野球まで続けて良かったと心の底から思います。
 

第4章 感謝

1年生の9月に入部してから現在まで軟式野球部の部員として過ごしてきましたが、本当に軟式野球部に入部して良かったと思えるほどに毎日がとても楽しいです。
そんな楽しい毎日があるのは軟式野球部の同期のおかげだと思っています。今でこそ同期の誰とでも気さくに話せる仲ですが、入部した当初の私は、人見知りと絶望的なコミュニケーション能力が強く出てしまい同期とも馴染んでいませんでした。完全に私が悪いです。キャッチボール相手がいないことを察したので、キャッチボールに入れてもらう努力もせずにベンチ裏でスマホを触っていたこともありました。ありえない行動をしています、完全に私が悪いです。あまり仲良くなることのないまま長期オフとなりますが、長期オフが明けて行われた春合宿が大きな転機となりました。
最終日前日の夜に同期全員が集まりがありました。あまり馴染んでいなかった私が呼ばれるのは珍しいなと思っていたのですが、その集まりでの話題はほぼ全て私中心でした。優しい同期が私のために開いてくれたと分かりました。たくさんの質問をしてくれて、たくさん自分自身の話ができました。今でも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そんな素敵な同期たちのおかげで、今では入部当初には想像できなかったほど仲良くなることができました。どれだけ感謝しても足りないと思っています。
ブログでみんなが書いているように、本当に楽しい思い出ばかりです。紹介していくと止まらないと思うので紹介しませんが、本当に軟式野球部に入って良かったと思えるような楽しい思い出がたくさんあります。
何気ない会話までもが本当に楽しく、練習をして身体は疲れているはずなのに心は元気になって家に帰ることが多いです。
本当に最高の同期に恵まれたと感じています。一人一人紹介したいくらい、全員にそれぞれ良いところがある本当に素敵な同期たちです。私と話すために車で15分かけて私の家の近くに来てくれる人や私を頻繁に家に泊めてくれる人もいます。そして13人全員が最高の笑顔で私の話を聞いてくれます。これほど幸せなことはありません。出会えて良かったと心から思えるメンバーであり、とても感謝しています。
引退まで残り僅かですが、一日一日を大切にしながら楽しみ尽くして軟式野球部としての思い出を増やしたいと思います。



  
過去を回顧したり、面と向かって言うことができないことを伝えられる貴重な機会でした。素敵な企画を考えてくれたマネージャーに感謝したいです。
 
以上で私のブログを終わりたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。


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ブログを読むごとに、どれだけみんなにとって同期の存在が大きいかが伝わってきます。
ブログリレー、残り7人です!💫


次回は、
多摩市に住んでいる
寺沼樹です!

11/3(月)に投稿予定です!
お楽しみに🙌