だめな指導の鉄板決めぜりふ | 中学理科教師のつぶやき

中学理科教師のつぶやき

中学校理科教師として25年。ひとつの意見として、ここに私の日々考えたことを記録していきます。同業の方、現役生徒、現役親御さんとのネットでの交流もできるといいですね。

先日、だめな指導者は何がだめなのか
知人と意見交換していたとき
だめな指導者に
共通しているセリフがあることに気がついた。

「言われなくてもわからなきゃだめでしょ。」

だめな指導者にもいろいろあるけれど
このとき話し合っていたのは
一生懸命なんだけど成果が上げられず
終いには生徒に対して癇癪を起こし
勉強の取り組みから競技への取り組みから
生活習慣から態度、目つき、先祖のことまでも
批判(ただの悪口)の対象として
さじを投げてしまう指導者。

一生懸命なだけに批判されにくい。
うっかり指導に意見したりすると
猛反発されて、意見した人の私生活まで
悪口の対象にされて、和解しようとしても
目も合わせてくれなくなる横暴振りに
「指導する立場なんだけどなあ」とあきれてしまいますが
あまりの面倒くささに手がつけられません。

でも、いったん批判されるとあっという間に更迭されます。
更迭されるというか、こういう人は勘がいいので
自分の立場が悪くなったと見るや
「もうやってられない!」とか嘆いて
引きこもって表に出てこなくなりますな。

更迭された後もずっと恨み言を並べて
自分の「念い」や「情熱」ばかりを優先して
自分の失敗を振り返ろうともしないので
周りの人たちはすっかり悪者扱いされて
結構長い間、げんなりしちゃう。

是非、自分はこうなりたくないものだと
決意を固める所存です。

ただ、私自身も一生懸命に指導する
一生懸命に指導しているつもりなので

「一生懸命」が悪いわけでは無い。
「熱い想い」「情熱」「本気」など
うざがられる姿勢が悪いわけでは無い。

実際に、「濃い」指導が
評判のよい指導者もいるわけです。
私も濃い指導、しつこい指導を心がけてます。

結果なのか?

テストの点数が上がるとか
県で優勝するとか
何かに表彰されるとか

結果が出せれば何でもOKか?
結果にこだわればいいのか?

いや、だめな指導者も優れた指導者も
結果にこだわらない人はいない。
結果がどうでもいい指導者って
指導者以前の存在ですよ。

結果にこだわるかどうかは
あんまり指標にならん。

結果以前の違いは何か。

そのとき思い当たったのが
だめな指導者って結果が出なかったとき
よくこう言うよね。

「言わなくてもわからないとだめでしょ」

この前に「そのくらい」「そんなの」って
くっつくことがあります。

このセリフを聞いたときにいっつも思うのが
「その」と「そんな」が
かなり重要なんじゃない?
ってこと。

つまり

重要な事項を「その」「そんな」と考えて
生徒に伝えていなかったってことね。
指導していなかったってことね。

その自分の罪を軽くするために
「その」「そんな」と言い
「言わなくてもわかる」と
一方的に他責としているわけだ。

ちゃんと伝わるように言われなくちゃ
わからないこともあるでしょうよ。

それなのに「だめでしょ」ってばっさり。

人格否定のニュアンスも含むんだよね。

うわー。だめな指導者だわ。

反省がないから、同じことをくり返します。

ってね。振り返ると、自分も使ってるなあ。

生徒、保護者には使ったことないけど
同僚、後輩、上司に毒づいたことはある。

だめな同僚、先輩、部下だったわ。私。

あーもう、絶対使わない。
このフレーズを使っているときは
自分が間違ってます。相手じゃないです。

だめな指導者、だめな人間にならないように
この気づきを大事にいたしましょう。

「言わなくてもわかる」じゃなくて
「わかるように言う」ようにします。

わかるまで言う。
わかってもらえるまで言う。
わかってもらえなさそうなら言わないで受け入れる。

あはは。