生徒会役員選挙だよ | 中学理科教師のつぶやき

中学理科教師のつぶやき

中学校理科教師として25年。ひとつの意見として、ここに私の日々考えたことを記録していきます。同業の方、現役生徒、現役親御さんとのネットでの交流もできるといいですね。

文化祭が一段落ついたら
次は生徒会役員選挙がありますな。

私が教員になってから
生徒会指導のうちの役員選挙
新しい役員を選出するための指導は
なかなか苦労してきました。
いえ、今でも苦労しています。

この役員選挙。そもそも何のためにやるのか
指導する側の価値観の相違があまりにも多すぎて
まとまらないわけです。

極端な例では
「落選した生徒がかわいそう」という理由で
選挙そのものを実施しないなんて
こともあるわけで。

そういった学校の生徒会活動、学校活動の
第1の目的は
生徒がいかに快適に毎日を過ごすことができるか
にあるわけで
そんなんで、人間が成長するわけがないというのは
ちょっとした常識を働かせればわかるはずなのにね。

でもね。

実際に落選した生徒の落胆振りときたら
見ていられないくらいかわいそうなのは
現実なのです。

そういった感情に流されて
思考停止に陥っては
職業として「教育」を選んだものとしては
失格なわけで。

がっかりした生徒を見ながら
どうこの経験をその生徒の成長に結びつけるのか
また、この指導ってどこかで間違っていないか?
よくよく考えて次の手を短期的に長期的に展望
展開していかないといかんわけです。

それでね。

私、生徒会役員選挙の指導は
特に、リーダーの指導は、代替わりの
この時期にきたら、もう遅いんだということに気がつきまして
試しに、入学したときから、1年半後の生徒会役員選挙を見据えた
リーダー指導をやってみましたの。

4年くらい前ですな。

学年の規模は4クラス。120名の生徒です。
私は、4組の担任。

入学した時点で、この4組の生徒に
「君たちには、かつてない一流の学級をつくってもらう」
ぶちあげまして。
まあ、この程度のハッタリはよくある話ですが

1年後には解散してクラス替えがある
4分の1ずつに別れるが
この1年で身につけた力をそれぞれ4つのクラスで発揮し
かつてない一流の学年をつくってもらう。

なお、3年生になったときは、最高学年として1・2年生を指導し
かつてない一流の学校をつくり、それを伝統として永遠に残るようにして
卒業していってもらう。

つまり、君たちは将来、この学校を完全に制覇するために
この学級にきたのだ。がんばってね。

と催眠術をかけまして
1年かけて、相互批判の方法からはじまって、組織防衛の方法とか
集団討論とか、自己教育力とか、自治活動の基本になる活動を教えて
いじめ問題に取り組ませたり、レクなんかの行事に取り組ませたりして
わいわい、楽しくやりました。

その1年で、同じ学年を組んだ先生方とも
どんな学年をつくるか、どんな生徒にしていきたいのか
だいぶ討論しまして、2年生になっての生徒会役員選挙は
どんなふうにやるのかも、だいぶ前から構想していました。

普通は、めぼしい生徒の名前がリーダーとしてあがって
「○○が会長をやるんじゃないか?書記長は△△だったらやれるだろう」
なーんて、感じで、○○くんと△△さんが
その気になるように、力を発揮できるように、どう指導を仕掛けるかなどと
小さい話で終わってしまうのが関の山ですが

そんな、しょぼい話でなくて
民主主義を教えるんなら
がちの選挙戦をやらせようぜ ということになって
選挙戦をやるためには候補者が
いっぱいいないと選挙戦にならん。
だいたい、一人受かって、一人落ちるみたいな感じだから
寂しくなるのであって
一人受かって、三人くらい落ちたら寂しくねーだろう
かえって、落ちた三人のほうが選挙後の執行部批判勢力として
勢いがつくんじゃねーの

ということで、会長候補4名を目標に指導を展開せよと
1学年のときは、各担任が奮闘したわけです。
その結果、各学級から誰がなってもOKの4人を押し立てての
大選挙戦が繰り広げられたのです。

だいたい、選挙に向けての学年の決議が
「各学級全役員に候補者を立て、学年全体のやる気をみせる」
となったものだから
会長4名(定数1)、副会長4名(定数1)
書記長3名(定数1)、執行委員9名(定数5)
の混戦状態となりまして、部活動の人間関係とかを考えても
まったく誰が当選するかわからない楽しい選挙戦でした。

こういうときって、××くんが会長に当選したら
生徒会指導がたいへんだぞー 
みたいなことってよくあるんですが。

だらしない奴が勘違いしてりーだーになったけど
力不足で何にもできない、言えないってパターンね。

このときは、本当に、誰がなっても生徒会運営には困らないな
というくらい事前に力をつけていたので
(話せる、書ける、あとは度胸だけみたいな。ね)
本当に楽でしたね。

そして、力のある生徒が落ちても、
残念でない、もったいなくないという
価値観もありまして。

つまり、落ちたけど、立候補しているので
発言権は他のものより10倍あるという考え方ですな。

立候補した生徒達は
落ちるかもなーと思いつつも
受かって良し、落ちても執行部批判をがんがんできる権利獲得で良し
と、どちらに転んでも生徒会ライフを楽しめると踏んで
選挙戦を楽しんでいましたねー。

実際に、その時書記長に落選したカオリさん(仮名)は
1年後に「会長、テキトーなこといってごまかさないで下さい」と
全校生徒の前で執行部方針に論戦を挑んだりなんかして
楽しんだようです。

選挙を通して、人として成長させるのが狙いですから
受かったり、落ちたりすることの意味を
がっちり受け止めることのできる生徒に育てておきたいものです。

落ちることで、人格を否定されたと感じるようでは
まだまだ力不足、指導不足なんでしょう。
落ちてもなお、自分の筋は通した
落選も想定内
これからが、本当の勝負よ。と気勢を上げるくらいが
中学生にはちょうどいいのではないかな?

また、そんなリーダーの姿に触発されて
集団としての底上げも達成できるんじゃないでしょうか

どうせやるなら
ちっちゃく、うまくやるんじゃなくて
がーんと ばーんと 攻めの姿勢で
やり通した方が、生徒も教師もスッキリします。

なお

現在、私、小規模校につき
選挙なんて意味無いでしょ
ちゃんと、しっかり談合(?)させようよ
というのが、現在の主張だったりしています。

だってねえ。

10人の中で選挙して・・・?
それより、ちゃんと膝つき合わせて
腹を割って誰が全校の代表にふさわしいか
やってもらうか話し合って考えた方が
現実的なんじゃね?
ね。町内会みたいにさ。

と、こちらの主張は
いまのところ、誰も支持してくれません(笑)
職員のみなさん
形ばかりでも
選挙はやりたいようです。

意味ねーと思うがなぁ。
(形を経験させる?・・・公民でやれば?)