第6話 召喚(前編)
1
今度は二日で目が覚めた。
カーズはバルドを女王のすみかから離れた所に運んで休ませてくれていた。
ひどく体調が悪かったが、段々と回復した。
太陽の位置も分からないこの薄暗い樹海の中でカーズは迷いなく方角を見定めて先導した。
樹海を出た日、今は何日かと訊いたところ、二十三日だという答えが返ってきた。
トライに寄って食料を補給したのだが、バルドを見知った者がいて、村の管理をする役人の家に一泊することになった。
戦況を訊いてみたのだが、シンカイという国が戦争を仕掛けてきたことは知っていたものの、皇都に近づく前に撃退されるでしょうと、楽観的な予想をしていた。
ロードヴァン城に帰着したのは五月八日のことであり、カーズの日付計算が正しいことが証明された。
ザイフェルトは不在だった。
王都に呼び戻されたという。
先の魔獣襲撃で副団長のマイタルプも戦死したから、今ここには、団長も副団長もいないことになる。
第二大隊長のカレッジ・ドルビーという騎士が団長代理を務めていた。
ともに魔獣からの防衛戦を戦い抜いた仲間でもあり、バルドのことはよく知っている騎士だ。
捧剣者名簿にもその名はあった。
カレッジは、バルドとカーズが樹海に赴いてマヌーノの女王に会ってきたのだと知り、仰天した。
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マヌーノの女王に会うなどというのは、無謀を通り越して正気を疑われるもくろみである。
大樹海の中に踏み込もうとすること自体、まともな人間なら考えもしない。
まして魔獣の大侵攻をマヌーノが率いていたというその出来事の直後である。
ザイフェルトには言い置いていたのだが、ザイフェルトはカレッジには伝えなかったようだ。
バルドたちより七日も早く、ジュルチャガが帰って来ていた。
ほかの者であれば、こんなに早くテューラとセイオンの都の様子を探ってこられるわけがない、と疑うところである。
ロードヴァン城からガイネリアの都を経由してテューラに行けば、それだけでも百八十刻里近くあるのではないか。
人が一日に歩ける距離といえば、五刻里ぐらいのものである。
つまり片道だけで三十五日かかるのだ。
しかも戦争のまっただ中であるガイネリア国内を通って占領下であるテューラとセイオンに行くのである。
むろん、どこをどう通れば安全であり、どこに行けば必要な情報が得られるのかは、あらかじめ分からない。
出発したのはバルドたちより三日早かったのだが、それにしても計算すると七十日ちょうどで帰って来ていることになる。
その日数で、テューラとセイオンの偵察をしてきたばかりか、パルザムとゴリオラの戦況についても、あらましはつかんできたというのだから、あきれるほかない。
だがまあ、ジュルチャガなのだから、そんなこともできるのだろう。
なるほど、ジュールラントが、どこの君主でも喉から手がでるほど欲しい人材、と言ったのはただの世辞ではない。
特にこういう有事におけるこの男の便利さは、ちょっと反則的ですらある。
「いやいや。
それがね。
ガイネリアは戦争まっただ中ともいえないんだ。
テューラとセイオンに至っては、戦争なんかないっていうか。
ま、とにかくまずはテューラの都の様子ね」
ジュルチャガの報告が始まった。
2
テューラの都には入ったよ。
でも必要な情報は、その前にだいたい集まっちゃったけどね。
まあ、いちおう確認っていうか、現場の空気を吸っとこーかなーって。
あと、いつか忍び込むときに備えて防壁を内側から見ておきたかったんだ。
え?
いや、戦の話じゃないよ。
おいらの本業を忘れてもらっちゃ困るなー。
さてと。
面倒な説明は飛ばして、結論っていうか、分かったことだけ言うね。
結局何が起きてどうなってるか、っていうことだけ。
一月の半ば、シンカイは、パルザム、ゴリオラ、テューラ、セイオン、ガイネリアの五国に宣戦を布告した。
国によって宣戦布告の使者が到着した時期は違うけど、だいたい一月の十日から三十日のあいだだね。
テューラとセイオンは、すっかり油断してた。
だってシンカイはファーゴやエジテの北西にあるんだもんね。
シンカイが攻めてくるとしたら、まずはパルザムとの戦になると思ってたわけだ。
ところが、二月四日、シンカイ軍は突然テューラの都を襲った。
ファーゴとエジテを無視して、さらにモルドス山系を迂回して、テューラの都を直撃したんだね。
本隊はあとに残して、騎馬だけの先遣隊が到着したらしくって、すんごく速い進撃だった。
途中シンカイ軍に気が付いて急使を発した諸侯もいたんだけど、その急使が着くのとほとんど同時にテューラの都に着いちゃったんだね。
先遣隊は騎馬隊だけの二百人だったんだけど、都の近くの平原で戦おうって挑戦状を王様に突き付けた。
そっちは何百人出してもいいからって。
テューラの王様は怒っちゃって、二百人の騎士を率いて自ら出陣したんだ。
歩兵も六百人ぐらいいたらしい。
で、あっという間にシンカイ軍に蹴散らされ、王様は捕虜になっちゃった。
シンカイ軍の攻撃があまりに速すぎて、逃げられなかったんだって。
こっからが妙な話なんだ。
テューラに残った大臣たちはびっくりして、何とか王様を返してもらおうと、身代金交渉をしようとした。
ところがシンカイの将軍、えと、バコウ将軍て人ね、この将軍は全然それに応じようとせず、かといってそれ以上攻めようともせず、その場所で待機を始めたんだって。
翌日にはシンカイ軍の食料とかを載せた馬車が着いた。
このころには、テューラの諸侯も騎士たちを率いて集まってきてたんだ。
でもバコウ将軍は平然として軍を待機させた。
三日目に、シンカイの本隊が着いた。
騎馬五百と歩兵九百ぐらい、それに輜重隊だね。
テューラの大臣たちや諸侯は、いよいよ戦いが始まると思って、戦争の条件を決める使者を出したんだ。
そこで何が起こったと思う?
なんとシンカイ軍は、王様を返しちゃったんだ。
何の条件も付けず。
それどころか、一緒に捕虜にした騎士たちも、みーんな解放した。
にこにこ笑いながら城に帰る王様を、みんなあぜんとして見てた。
さて、城に帰り着くなり王様は言ったそうなんだ。
シンカイ国のバコウ将軍の|懿徳《いとく》に感服した。
かの将軍をもてなす宴を開くから、諸侯も出席せよ。
で、王様は本当にルグルゴア将軍やシンカイ軍の幹部を呼んでごちそうをしたんだ。
てっきりその席で油断させて侵略軍の将軍たちを殺すのかと思った人もいた。
逆に王様は脅かされてひどく不利な降伏文書に調印させられるんじゃないかと思った人もいた。
どっちもなかった。
ただひどく奇妙なことがあった。
大きな黒い馬車があって、それにシンカイの貴人が乗っているからあいさつせよ、と王様の命令があってね。
テューラの大臣や諸侯が次々その中に入っていったんだ。
シンカイ軍は、テューラの都でたっぷりの食料をもらった。
そしてシンカイ軍は、たった一人の将も兵も残さず、そのままセイオンのほうに去って行った。
そのあとで王様は諸侯をねぎらって解散させたんだけど、一つだけ変な命令を出した。
今後シンカイ軍が領地の近くを通っても、あちらから攻撃してこない限り一切手出しをしてはならない、とね。
テューラの王城からセイオンの王城までは、ぴったり二十五刻里。
ゆっくりの馬車でも三日あれば行ける。
三日目にシンカイ軍がセイオンの王城に到着したときには、もう戦は終わってた。
え?
話がおかしいって?
おかしくなんかないよ。
だってシンカイには別働隊がいたんだもん。
リュウカイ将軍率いる別働隊騎馬二百が三日前にセイオンの都に到着しててね。
都の外の平原で戦おうって挑戦状をよこした。
テューラと一緒さ。
ちょっと違うのは、こちらでは翌日が戦争の日に指定されたことと、そのあいだに都の近くの諸侯が駆け付けたから、セイオン側の戦力が五百以上に膨れあがったことかな。
もちろんそれに歩兵もくっついてただろうから、すんごい戦力だよね。
王様ももちろん出陣した。
こんな挑戦受けてお城に隠れてたんじゃ、示しがつかないもんね。
まあ、大軍の一番後ろにいるんだから、何かあってもすぐにお城に逃げ込めるって思ってたらしいんだけど。
ところがシンカイ軍の強さと速さは、とんでもなかった。
あっというまに側面に回り込まれて、王様が捕まっちゃった。
そっからあとは、テューラと同じさ。
テューラから移動した本隊が到着して王様は解放され、たっぷり飯を食わせたあと食料を与えて送り出したわけ。
もちろん、お偉い人たちは大きな黒い馬車に招待されたそうだよ。
さてこのあと、シンカイは軍を3つに分けた。
バコウ将軍、バエン将軍、バトツ将軍、ガクソク将軍の率いる四百騎はバコウ将軍を主将としてゴリオラ皇国に侵攻。
リュウカイ将軍、ラドウ将軍、ソンキ将軍、ブンタイ将軍の率いる四百騎はリュウカイ将軍を主将としてパルザム王国に侵攻。
チョウドウ将軍の率いる百騎はガイネリア国に侵攻。
バコウ将軍はテューラで食料を補給しながらゴリオラ皇国南部の都市を荒らし回り、二月の末にコブシ城を占領。
奪還しようと攻めてくるゴリオラの騎士たちに痛手を与えながら悠然としている。
リュウカイ将軍はパルザム北部の都市オーパスに攻め入って、三月の初めに占領。
ガイネリアでは第八騎士団と諸侯の騎士たち合わせて八十騎ほどがチョウドウ将軍を迎え撃った。
けどあっさり負けちゃった。
チョウドウ将軍はたちまちガイネリアの都に攻め寄せた。
第一騎士団から第四騎士団が頑張って防御しながら、ここにいたジョグ・ウォード将軍に緊急の帰還命令を出したんだね。
このときはおいらもここにいたから覚えてるよ。
二月の三十八日だった。
そのころには負傷してた騎士さんたちも元気になってたからね。
騎士五十人を率いて戻り、そのままチョウドウ将軍の軍と激突。
チョウドウ将軍の首を取り、配下の騎士たちも半分ぐらい討ち取ったらしいよ。
てなわけでね。
今、ガイネリアは戦勝で沸いてる。
次の敵軍がいつ来るかは分からないけど、今は戦争中じゃないんだよね。
テューラもセイオンも、シンカイに食料は提供してるけど、まるっきりただってわけでもないみたい。
それと、シンカイの補充兵とかの拠点にもなってるみたいだけどね。
占領中とか戦争中ってわけじゃないんだよね。
なんか変な戦争だよねー。
3
その黒い大きな馬車とやらに誰が、あるいは何が入っていたにせよ、それに入った者は心を操られてしまうようじゃのう、とバルドは感想を述べた。
荒唐無稽な話のようだが、そうとでも考えないと説明がつかない。
「うん。
おいらもそう思う。
それでね。
トード家の下働きだった|娘《こ》が言ってたこと思い出したんだけどね。
トード家の近くにしばらく黒い大きな見慣れない馬車が止まってたことがあるんだって」
何っ、とバルドは言って目を細めた。
そして、それはいつのことじゃ、と訊いた。
「去年の六月ぐらいって言ってたかなあ。
いろいろ聞いたうちのちょっとした話だからね。
あんまり詳しくは聞いてないんだ」
だが、上出来だ。
やっと手がかりが見つかったのだ。
すると問題は、バルドの王都での滞在先がトード邸になるということはいつ決まったのか、どの程度の人間が知っていたかだ。
また、ジュールラントがそこに足を運ぶかもしれないということを予測できた根拠だ。
これはいずれ調べておかなくてはならない。
それにしても不可解なのはシンカイ軍の強さだ。
バルドはジュルチャガに訊いた。
なぜシンカイの軍はそんなに連戦連勝だったのかと。
「それがおいらも一番不思議だった。
だからいろいろ調べてみた。
まずは馬がすごくいいみたい。
それと馬の扱いがむちゃくちゃうまい。
騎士の鎧が馬鹿みたいに軽くて頑丈。
これなんだけどね」
ジュルチャガが渡した物をじっくり見た。
革鎧だ。
しかも、これは。
魔獣だ!
何種類かの魔獣の革を貼り合わせて鎧にしてあるのだ。
なるほど。
これなら軽くてしかも防御力は高い。
「とにかくシンカイの軍は騎馬主体でね。
歩兵は後片付けをして回るだけなんだって。
つまり兵はみんな騎士、ってことになるのかな。
それで、全部の騎士が魔獣の革鎧を身に着けてるんだ」
なんという。
なんという、それは強力な兵団か。
だが、ジュルチャガはこんなものをどうやって手に入れたのか。
「ジョグ・ウォード将軍がくれたんだよ。
じじいに見せろって。
あ、そういえば、ジョグ将軍、次の指示はまだかって言ってたよ」
次の指示とは何じゃと一瞬考えて、思い当たった。
あのとき、この戦が終わるまでバルド・ローエンの指揮に従う、とあの男は言っていた。
つまりまだ「この戦」は終わっていないと思っているのだろう。
相変わらず変なやつだ。
「それとね。
これを伝えろって。
シンカイ軍の強さの秘密は、武器にある。
やつらは長柄の武器ばかりを使っている、って。
それから、やつらは相手の騎士を捕らえようとはせず、はなから殺しにくる。
とんでもないやつらだ、って」
ジュルチャガは実際にシンカイの騎士から分捕ったという武器を検分してきたという。
ひもを当てて長さや刃渡りまで調べてきたようで、かなり詳しくバルドは敵の武器について知ることができた。
いずれも非常に長い。
形は何種類もあるようだ。
斧が付いた槍。
槍の柄に巨大な剣を付けて反りを持たせたような武器。
槍の先に重り付きのくさびを取りつけたような武器。
長柄の付いた巨大な鎌のような武器。
長柄の先に鎖でとげのある鉄球を付けた武器。
シンカイの騎士は、これらの武器を縦横無尽に振り回し、時には突いたり投げたりもするという。
盾を構えてもそれを回り込んで打撃できる武器が多く、射程が剣よりはるかに長いため、騎士の標準武装では戦いようがないというのだ。
剣こそは騎士の武器だ。
誰もがそう思っている。
バトルハンマーやバトルアックスを使う騎士もいるが、長柄の武器は騎士にふさわしくない、と考えられている。
モーニングスターなど、競武会ではともかく実戦では使う騎士はいない。
考えてみれば不思議なことだ。
古い騎士物語では、決闘は槍の戦いに始まり、数種類の武器を経て、最後に剣と盾の戦いで決着を付ける。
だから古代にはさまざまな武器を使って戦ったはずなのだ。
今でも集団決闘の形を取る戦争では、初撃には突撃槍を使う。
だが槍を使うのはそこまでだ。
あくまで決戦は剣で戦われる。
また、槍を振り回して使う騎士などいない。
槍は突くものであって殴るものではないからだ。
しかし実は、槍を振り回すというのは、かなり有用な戦法だ。
バルドは昔、手薄な砦をコエンデラの騎士たちに攻められたとき、従卒たちに槍を振り回させて撃退に成功したことがある。
常々思っていたのだ。
馬にまたがって両手で縦横無尽に槍を振り回す騎士団を作れば、まさに無敵だろうなと。
無論それには長く厳しい訓練が必要であるけれども。
そのバルドが夢想していた軍団が実在した。
いや。
バルドの夢想を越えている。
何しろ彼らは全員が魔獣の革鎧をまとっているというのだ。
防御力を確保しながらも、その身は軽い。
その機動性たるや想像するだけで戦慄を誘う。
全身鎧をまとい盾を構えた騎士など、彼らにはまぬけな的にしかみえないだろう。
それに、馬だ。
バルドも中原に来て分かったのだが、こちらの騎士団では、馬はどっしりして足も太いものが好まれる。
でなければ重い騎士を長時間支えて行軍することなどできないからだ。
だが本当に素早い動きのできる馬は、体軀に比してむしろ足は細いものだ。
おそらくシンカイの騎士たちが使う馬は、足の細い高速機動型の馬だ。
それは持久力では少し劣るかもしれないが、決戦では無類の働きを現すだろう。
勝てない。
中原の騎士団では、シンカイの騎士団に勝てない。
少なくとも野戦ではまったく勝ち目がない。
パルザムの王直轄軍を除く旧来の中原の騎士団では。
速さと軽さ。
防御力と突破力。
そして攻撃距離の差。
テューラやセイオンの軍は、まったく想像もしていない侵攻速度と威力についていけなかった。
それこそ王を逃がすひまもないほどに。
そして中原の兵に勝つことに慣れてしまったシンカイの軍は、ジョグ・ウォードの部隊に対応できなかった。
なぜならジョグも部下たちに軽装と電撃戦を求め、そのように訓練しているからだ。
またシンカイの将軍の武器がいくら長柄といっても、ジョグの黒剣には及ばないだろう。
むむ。
むむ。
もしかすると、これは。
戦、というものが大きな転換点を迎えようとしているのかもしれない。
戦いというのは勝ち負けを決めるためのものだといってよい。
勝ち負けには形式があり、作法がある。
だが。
だが。
相手をいかに殺すかという戦い方をするなら、どうだろう。
シンカイのやり方は、まさにそれだ。
長柄の殺傷力の高い武器ばかりを使う、人馬一体の騎馬兵士軍団。
しかも、馬も人間もどんどん補充されているという。
この軍団は、人数では計れない恐ろしい破壊力を持っているとみなければならない。
バルドは、横で黙ってジュルチャガの話を聞いていたカーズに、思わず言った。
おぬしは以前シンカイの軍を迎え撃って何人もの将を倒したというが、それは実にたいした働きだったのじゃのう、と。
それを受けてカーズが発した言葉は意外なものだった。
「いや。
あのとき、シンカイ軍は確かによい馬を使っていたが、魔獣の革鎧を着けていたのは将か隊長級の騎士で、皆が皆着けてはいなかった。
それに、長柄の武器などは使っていなかった。
剣を使っていた。
全体として、そこまでの強さではなかった」
とすると、シンカイ軍はどこかの時点で戦い方を変えたのだ。
それは一朝一夕にできることではない。
「それにしても、ガイネリアに対してはたった百騎とは。
いくら精強な軍団であるとはいえ、少し侮りすぎのような気もします」
と言ったのは騎士団長代理の騎士カレッジ・ドルビーだ。
バルドは、その理由を考えた。
その疑問をもう一つの疑問と重ね合わせると、答えが出た。
もう一つの疑問とは、テューラとセイオンへの侵略が生ぬるいということである。
王や重臣たちの様子がおかしいのは、誰がみても明らかであろう。
ということは、周囲の家臣や諸侯もそのままで見過ごしはしない。
今の状態はいつまでもはもたない。
なのになぜ大軍を置いて支配することもせず、いいかげんなやり方のままで放置するのか。
必要ないからである。
シンカイは、魔獣たちの大軍が東から襲い掛かってくることを知っていた。
当然、中原諸国で最初に餌食になるのはガイネリアだったはずだ。
その次は、テューラとセイオンが蹂躙されただろう。
荒れ果ててしまうことが決まっている国をきちんと征服したり支配したりする必要はない。
攻めて勝ったという事実だけを残しておけばよい。
テューラとセイオンに要求されているのは、たぶんゴリオラとパルザムに攻め入る橋頭堡としての役割であり、それ以上のものではない。
逆に考えてみれば分かる。
もしも魔獣の襲撃もなく、攻める順もパルザムからだったら、どうなったか。
無事パルザムを攻め滅ぼしたとしても、そのあとには無傷のセイオン、テューラがあり、これを降してもガイネリアが、さらに北方には巨大国ゴリオラがある。
悪くすればパルザムとの戦いにこれらの国が援軍を送り込んでくる可能性さえある。
だが、東から魔獣の来襲があると教え、中原諸国の注意と戦力のいくばくかがそちらに向けられているあいだに、一気にテューラとセイオンを落とした。
それによって、ゴリオラ、パルザムの両大国に短時日で攻め込めることになった。
そしてパルザムとゴリオラの有力都市を落として拠点を確保したではないか。
もはや、テューラ、セイオン、ガイネリアなど、どうなってもよい。
要するに、ここまでの戦争は、シンカイの思う通りに運んでいる。
わずかな予定の狂いがあるとすれば、ロードヴァン城に集結した三国連合軍が魔獣を撃退してしまったことか。
それがこの先の戦況に、少しでも役立てばよいが。
だがいずれにしても、自分の役割は終わった、とバルドは思った。
これ以上魔獣の侵攻はないということが、マヌーノの女王と会って分かった。
あとは王都に戻って報告するだけだ。
そこでふと思い出したことを、騎士カレッジ・ドルビーに訊いてみた。
パタラポザの暦、ということを聞いたことがあるか、と。
騎士カレッジは、そんな物も言い回しも知りません、と答えた。
やはり一般には知られていないことのようだ。
マヌーノたち亜人が使う暦なのだろうか。
一通り報告も聞き、問題点も検討し終えたバルドは、明日には王都にたつぞ、と言った。
ジュルチャガの報告は少なくとも一か月前の時点のものであり、戦況は進んでいるだろう。
だがバルドは、他の国はともかく、パルザムではシンカイの軍は食い止められたはずだ、と思っていた。
なぜなら、軍制改革を行ってきた今のパルザム王直轄軍は、たぶんシンカイ軍との相性は悪くない。
シンカイの馬足は重歩兵と槍兵に止められる。
止まって打ち合えば、いかに魔獣の革鎧を着けていても、金属の全身鎧を着けた騎士には分が悪い。
だからシンカイ軍とパルザム軍の戦いについては、そう心配する必要はないとバルドは思った。
それよりも、マヌーノの女王との会談について、ジュールランに伝えなくてはならない。
あまりに微妙で曖昧な話なので、とても書簡や伝言では伝えられない。
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7月28日「召喚(後編)」に続く