最後の曲が終わる。

それとともに会場はしっとりと暖かい歓声に包まれた。

アイドルのライブとは信じ難いほどの異様な空気に私、松田里奈を含めた二期生は動揺していた。


ドームライブのラストを締めくくったのは、平手さんだった。

ステージの上でただひとり軽やかに、だけども力強く舞う彼女は圧倒的なパワーを放っていた。

にも関わらず、今にも消えてしまいそうな儚さを感じさせる彼女のパフォーマンスには会場にいる誰もが魅了された。

そして曲が終わり、彼女の“ ありがとうございました。”の一言で二ヶ月に渡る全国ツアーは締め括られた。

…しかし私は今、謎の焦燥感に襲われていた。

なぜかというと、全てを終えて舞台袖へと移動してきた彼女があまりにも消えてしまいそうだったから。

今すぐ声をかけなければ、彼女は消えてしまいそうな気がする。

平手さんが、私の前を通り過ぎる前に__

「あ、あのっ、」

「うん。」

あれ。話しかけてみたはいいものの、彼女に対して微かな違和感を感じる。

私の言葉に柔らかく微笑む彼女は、私の知るいつもの平手さんではなかった。

そこにいたのは紛れもなく先程まで舞台上で舞い踊っていた儚げで綺麗な少女だった。

“お疲れ様です。”

驚きのあまり、その一言が中々声にすることが出来ない。

だって、役と彼女自身との境界線があまりにも曖昧で、このまま放っておけばこちら側に戻ってこないことだって、あるのでは…

驚きから来る衝撃で少々鈍りつつある脳みそでそこまで考えて、またふりだしに戻る。

でもそんなことって、あるのだろうか。

つい一年前まで銀行員として日常を送っていた私にとっては、あまりにも現実味の無い話だった。

彼女の潤んだ目が真っ直ぐに、射るように私を見つめる。

「えっと、お疲れさ_


突然、平手さんの身体がプツリと糸の切れた人形のようにふらりと揺れた。

重力に従うように、前のめりに倒れこむ彼女をすんでの所で抱きとめる。

「ひっ平手さん?!」

自分でも驚く程、声が震えていた。

「え、ど、どうしよう、」

私に凭れかかるように倒れこんだ彼女の熱を全身に感じる。

彼女は肩で呼吸していて、完全に私に体を預けていた。

貧血でも無ければ風邪でもなさそうで、どうしてあげればいいのか全く見当もつかなかった。

「__大丈夫、任せて」

半泣きになってあたふたしていると、背後から未だに聞き慣れない声が聞こえた。

「え?」

「私が救護室までおぶって行くからマネージャーに知らせてくれる?」

「…理、佐さん」

理佐さんは、私が今まで見たどの時よりも険しい表情をしていた。

「泣かないの。分かった?」

「…はい」

「よいしょっ、と」

理佐さんはぐったりと倒れこむ平手さんを楽々と抱きかかえ、そのまま救護室へと向かっていった。

理佐さんが進む度に力無く揺れる彼女の放り出された腕を見て、ズキズキと心が痛む。

パフォーマンスに命をかけていて、本当に満身創痍なのだろうなと二人の背中をただ茫然と見送った。



_


私は今、救護室の前で立ち尽くしている。

私たちの楽屋に向かうには、どうしてもこの部屋の前を通らなくてはならなかったのだ。

救護室といっても、安易ベッドと机と、長椅子が一つずつ入るほどのとても小さな部屋だ。

だから彼女たちの会話を聞くのも容易かった。

悪い事だと思いながらも、私の想像を超える困難を幾度となく乗り越えてきた彼女たちの会話が気になって、そっと側耳を立てる。

「ひらて、なんでこんなに無理するの?」

理佐さんは点滴を打ち静かに眠る平手さんの手を握りしめ、もう片方の手でそっと彼女の頭を優しく撫でていた。

「なんで…私じゃダメ?」

ポロポロと大粒の涙を零し続ける理佐さんは、そのままピクリともせずただ眠り続ける彼女に縋るように抱きついた。

小さな救護室内に、彼女の嗚咽だけが響き渡っている。

いつもの落ち着いた様子からは考えられない程に取り乱す彼女にこれ以上耐えられず、私は逃げるようにその場から立ち去った。

_


色んな出来事が頭の中を行き交っていて、少し整理が必要みたいだ。

あれから楽屋に戻る気にもなれず、観客の居ない静まり返ったステージから客席を見渡すようにして立ち尽くし、そっと目を閉じる。

欅坂46に入る前から感じていた。

鬼気迫るパフォーマンス。

センターに立ち、全メンバーの指揮をとる一人の少女。

髪を振り乱し、時には心配になる程激しく踊り舞う彼女は、明らかに側から見てもその命を削りパフォーマンスしているのは明白だった。

実際に私自身がその脆くて力強い、儚さの際立った少女を筆頭としているグループに所属していることが信じられなかった。

私も彼女達のように命を削り踊り舞う、その覚悟があるのだろうか。


「_なんでそんなに悲しい顔をしているの?」

「なんでって…」

なんでだろう。

平手さんが背負ってる物が私には考えられない程に大きくて、彼女を支えていく自信がまだ無いから……

……あれ?そういえば私、今誰に話しかけられたんだろう。

「むにゅー」

…むにゅー?

突然頬を摘まれたことに驚いて顔を上げると、口角を上げてニンマリと悪戯な笑みを浮かべている彼女と目が合った。

「へ?平手さん?!」

「おつかれ、里奈ちゃん」

「もう、動いて、大丈夫ナンデスカ」

驚きで声が裏がえってしまった。

「大丈夫大丈夫。心配かけてごめんね」

少し困ったように笑いながら頭を撫でてくれる目の前にいる少女は、紛れもなく平手さんだった。今度はちゃんといつもの彼女だった。

腕に貼られた小さな絆創膏にチクリと心が痛む。

どうやら点滴だけ打って帰ってきたようだ。

「んぅ…」

少女の役に入ったまま、帰ってこないのではないかという恐怖すら感じたのだ。

微笑んでいる彼女だが、心なしかまだ顔色が青白い気がした。

「え、泣いてるの?なんで?」

突然泣き出した私にあたふたと慌てる姿が、いつも通りの平手さんで、更に安心して涙と鼻水がごちゃごちゃになる。

今心配するべきはあなたの身体の事なのに、なぜそんなに他人に気をかけることができるのだろうか。

「心配で」

「?」

私の言葉に不思議そうな表情を浮かべる彼女。

その瞬間、心の真ん中で堅い決心がついた。

「私が、絶対に守りますから」

「へ?」

「ツアー完走祝いのケーキ食べに行きましょう。あ、その前に写真撮ってもいいですか」

「嬉しい。いいよ」

そう微笑む彼女はいつもの柔らかな表情を浮かべていた。

絶対に守る。

これからも彼女に向けられるであろう全ての鋭い視線と言葉と、それから自分を追い込みすぎる彼女自身を。

こんなに近くで彼女を守れることに幸せを感じる。

「いきますよー。はいっ」

「なにその合図」

ケラケラと笑う彼女を横目に、私は静かに彼女の背中に手を添え、カメラのシャッターを切った。