心療内科と共に生きる | 京都還暦男のシングル暮らし

京都還暦男のシングル暮らし

京都在住歴40年以上。2024年の2月で還暦です。これから終活。日々の出来事を綴りたいと思います。

僕は心療内科に通っています。

 

30になって仕事を本格的に始めた頃から、眠れないと仕事ができなくなると思い、意を決して通い始めました。

 

昔は心療内科は精神科と言われていましたが、30年ぐらい前から徐々に心療内科と言われるようになって、綺麗なクリニックで、綺麗な音楽を流してというところが増えていきました。

あの当時からカウンセリングも手頃な料金、もしくは無料でやってくれるところが増えました。

 

最初に行ったところは先生がヘビースモーカーで、仕事に疲れているという雰囲気のところで、おそらくあの先生はもう生きていらしたにしても90ぐらいでしょう。

 

その後カウンセリング付きのところに移ったものの、1人目のカウンセラーはまだ25歳のアル中の男性で、2人目のカウンセラーは30過ぎの女性でした。

 

しかし、僕は、この女性とはうまく行かなくて、当時は桂にあった、今のクリニックに移りました。ここではすごくいいカウンセラーの先生との出会いもありました。

この先生のところに初めて行ったのは、32歳の時、もう30年近く前です。その後、烏丸の女性の先生が院長のところに通ったりもしましたし、他のクリニックにも何件もいきました。

 

あの当時の僕は強迫症で悩んでいて、神経の休まる暇もなかったのです。

 

しかし、結局、今通っているところが一番長い縁になったのです。

もうこの20年ぐらいは他の先生のところには行っていません。

 

ここの先生はおしゃれで、ダンディないい先生で、28年ぐらい前に初めてお会いした時が、40代半ばか後半くらいだったから、もう70代の後半のはずなのですが、今でもおしゃれを欠かさず、きちっとした老い方をなさっています。

 

その先生が60ぐらいになられて、若い先生にそのクリニックを譲られ、その後、烏丸にさらに新しい大きなところをつくられることになり、烏丸の方が僕としても近いから、そちらに移りました。

今は眠剤だけはもらっていますが、強迫症の薬はもらっていません。

 

思えば、長い旅路。

結局、色々な先生に診てもらった後、やっと落ち着いた通い先が見つかったという感じなのです。

 

僕の心も何人ものカウンセラーや心療内科を経て、少しずつ落ち着いてはきましたが、本当に今振り返れば、長かった。
 
と言っても、その先生ももう高齢です。まだまだお元気ですが、いつまでもこの先生に頼れるとは思えない。
 
これからどうなるのか。
 
ただ世の中が進歩したと思うのは、こういうクリニックが至る所にできたということ。
 

僕は不登校の頃にも精神科・神経科の病院に行ったことはありますが、あの当時は精神病院というとキチガイ病院とか言われていましたし、患者の方も堂々と通うことはできなかった。

先生たちも心理的なことは全く勉強なさっていなくて話にもならなかった。

 

僕が若い頃はまだ世の中が成熟していなかったのでしょう。

 

今は少なくとも成熟してきたのです。

良かった。

だけど、遅かった。

 

もっと遅れて生まれてきていたら、、、俺の人生は変わっていたのかも。

それは叶わぬ願いです。

 

人生に「たら・れば」はないんですよね。

 

でもまだ人生はこれからある。帰りにマクドに寄ったら70ぐらいのおじいさんがレジをなさっていました。まだまだ還暦なんて若いです笑。