もう丸四年経ちます。今日6月17日は坂東竹三郎の祥月命日です。
元気な時から、こういう人はもう今後出ないだろうなと思っていましたが全くその通りでした。
松竹座も閉場、国立劇場も閉まったまんま。竹三郎が立った舞台も遠くなっております。
『男の花道』の加賀屋東蔵。
竹三郎襲名が昭和42年(1967年)3月の朝日座で『吉野川』の久我之助、『輝虎配膳』の
お勝『新越後獅子』の獅子舞を務めました。
「久我之助は下ばっかり向いている役で、菊次郎の定高も仁左衛門さんの大判事も中々見られなかった」
と言っていました。この時の”山の段”の演出について朝日座の間口が狭く川幅が狭くなってしまうために
工夫を凝らした件を十三代目仁左衛門さんが本に書いております。
襲名興行なのに歌舞伎単独興行でないところがこの時期らしく、
木暮実千代参加で大喜利に『五瓣の椿』が出ました。
「木暮さんは化粧品の広告やってたやろ(ジュジュ化粧品)。だからスポンサーが強固だった」
そうです。
木馬亭で「素の写真は嫌やと言ったやろ!」と言われそうです。
同年の10月歌舞伎座十五代目市村羽左衛門二十三回忌追善興行でも襲名披露がなされました
(家橘改め二代目市村吉五郎・寿改め十七代目市村家橘と同時)。
この時は『業平吾妻鑑』の女仕丁他に出演。追善口上にも列座。
菊次郎も勿論上京し、十七代目羽左衛門さんの演し物『盛綱陣屋』の母微妙で出演。
この時、多賀之丞さんが菊次郎の楽屋を訪ねて来て、
「渡辺君(菊次郎の本名)、微妙は私の役なんだがもう歳だから君に回ってきたんだよ」
とわざわざ言いに来たと、これを喋る竹三郎の嫌そうな顔が忘れられません。

