ドジなスケジュールを組んだもので本日は噂の兵庫県知事選挙でした。

そんな事情でお集りは悪かったのですがその分みっちりお話を聞いていただけたかと

思います。心斎橋某所にて。

”グランドキャバレー”っていうのは昔は随分大阪にもあったんですが、

そこで浪曲というのは今までなくて、河内音頭は随分やりました。

ミス大阪(千日前)、ユニバース(千日前、味園ビル)、カサ(笠屋町)とかでね。

夏に店の中に櫓を組んでやるんです。ホステスさんは浴衣で総踊り。

そういう楽しい時代もありました。

 

グランドサロン十三はその時代の名残の空間で華やかな雰囲気の中、

浪曲だけでなく、音頭も楽しんで頂けたらと思います。

 

 

 

随分長く浪曲をやっていますが、若い時は辛いことも多々あった。

梅田花月でもお客さんがとぐろを巻いている程の入りの時でも、

自分の出番になるとお客さんが席を立ってしまってロビーが満員。

浪曲への拒絶反応です。聞いてくれないどころか、拍手も全く起きない。

どうしたら聞いていただけるかと、思案を重ねて野球ユニフォームを着てバットを持って”王貞治物語”を

やったり、春團治師匠の出囃子を使って落語家風に出ていくと拍手が起こる。

”落語やと思ったでしょう?”とダイジェスト風の浪曲をやったり苦労しました。

 

当時の若手でやったコントが”寿限無ショー”。

当時流行った高石ともやの”受験生ブルース”をテーマ曲にしましたね。

林家市染=後の四代目染語楼(ドラム)、林家染八=後の小染(笛)、林家染二=当代染丸(三味線)、塚本小やっこ(三味線)

そして私、福太郎はギター。

寸劇の浦島太郎で、私は亀。全身タイツで背中にザル載せたり。手品もやったり。

良く受けましたよ。

しかし当時の林会長が”ありゃなんだ!受けているとしてもダメ。金が掛かり過ぎだ”ということで消滅。

 

とにかく私の役割は後進を育てることです。プロを目指す若い人を育成する塾を作りたい。

そして私の幸枝若節だけでなく、絶えてしまっている鶯童節、駒蔵節、秋水節、秋斎節も

向いている子がいれば復活させていきたいと思います。

まだまだ目標はたくさんあります。今後ともよろしくお願いいたします。

 

懇親会出席者全員で記念写真。

左より京山幸乃、京山幸枝若、京山幸太、宮田泰三氏(グランドサロン十三支配人)