新春論考『大石東下り』 | 有限会社宮岡博英事務所のブログ

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2021年12月28日の『演芸大忠臣蔵2021』でも主任の京山幸枝若先生にやっていただきましたのが

『大石と垣見』。

珍しくも大石が討入のために江戸を下る。その道中に身分を偽り、他人の名を騙って行動し、

それが露見に及び絶体絶命のピンチに陥る緊迫感あふれる一席です。

 

この件を講談で”義士本伝”『大石東下り』と称しての上演を見ると甚だ疑問に感じるのです。

”本伝”とは登場人物のエピソードを描くよりも事件の経緯を順に追ったものであり、

曰く『刃傷松の廊下』、『内匠頭切腹』、『赤穂の早駕籠』という感じ。

そのため筋を追う話が多く、正直あんまり面白くなく、誰もかれもがやると言うこともなく、

昨年亡くなった一龍齋貞山でさえも「俺は本伝、あんまり持ってないのよ」というほどでした。

 

それでは講談本来の『大石東下り』はどんなものかというと元来シンプルで、大石が近衛殿身内池田久右衛門を

騙って江戸に向かう折、人足とのトラブルが起こるが上手く切り抜けてあくまでも池田久右衛門として

江戸に入るというだけの筋です。

 

なぜ講談本来と書くかというと、現今では服部伸が浪曲師時代に演じ、講釈師に転じてからも上演を続けた

服部版『大石東下り』が、いつの間にか講談の『大石東下り』と目されてしまっているからです。

服部伸先生唯一の門人である、悟道軒圓玉先生とは前からそんな話をしておりましたが、

圓玉先生が「確か服部本人が自分の創作だと言っているインタビューがある」ということで、見つけ出してくれました。

http://hana-ni-awan.com/wp/wp-content/uploads/hpb-media/S.42.11.16nikkeirentimesHattorishin.jpg

 

(”日経連タイムス”昭和42年11月16日号。日経連は現在は経団連と統合された組織。現”経団連タイムス”さんのお許しを得て掲載しております。転載禁止)

昭和40年2月12日邑井貞吉先生の告別式。(左から品川連山、二代目神田山陽、服部伸、六代目神田伯龍、二代目神田ろ山)

 

これを読むと服部伸が”浪花亭駒子”という名前で真打になるにあたって、『大石東下り』に垣見佐内という近衞関白の雑掌役を

出して、きれいな物語ができたと明言しています。

そのほか『は組小町』にまつわる話など、このインタビューは貴重そのもの。服部伸を知るならこれは必読です。

もう一つ、インタビュアーの前田一氏が物凄く詳しい!だからこそマニアックで正史を辿るインタビューになりました。

こういう好事家の経済人もおられたんですな。*前田氏は「サラリーマン」という造語を作った人だそうです。

 

服部版『大石東下り』では、人足とのトラブルが偽垣見露見の発端となり、本当の垣見と偽垣見の大石との対決となります。

浪曲だと多くの演者が居ますがシンプルに、垣見と偽垣見の対決に絞っているようです(幸枝若版も雲月版もそう)。

もっと言うと、服部版以外の浪曲は、本当の垣見が本物の書付(証明書)を大石に渡します。

 

服部証言に従えば服部版『大石東下り』は浪曲が元祖で、服部伸はそれを講釈師に転じても演じた。

講談界では、このネタは服部伸存命中はやる人がいなかった程の遠慮があった。

服部伸は浪曲から『大石東下り』を持ってきていることを知っているから”本伝”、”外伝”、”銘々伝”とも銘打つ必要はなかった。

その後、服部版『大石東下り』を勝手にやっている人が講談に多いという結論となります。

そのため”義士本伝”という肩書を付ける必要が生じるのでありましょう。