浄土宗・知恩院と大本 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・浄土宗・知恩院と大本

 

 窪田 法然が京都で居をかまえた場所は、八坂神社の北側の、今の知恩院ですね。

 知恩院の前にある瓜生石は、素戔嗚尊が最初に地球に降りてこられた場所だといわれ、そこに本坊をもたせてもらった由緒もある。

 そして昭和五年の岡崎で開かれた宗教博覧会ではね、東西両本願寺などは大本の参加に反対したのに、知恩院は大本を押したのですね。あの展覧会から大本は宗教団体として認められていく。

 そこで聖師さまは、「大本信者は知恩院に足を向けて寝てはいかん」とおっしゃっていたというね。(以下略)

 

      (「神の国」№161 『ますます浮上してくるスサノオの世界』より)

 

 

・皇円阿闍梨

 

  “その昔洛外比叡山において皇円阿闍梨と法然上人とが問答した結果、皇円阿闍梨はみろく出現の聖代に遇わんものと思ったが、人身にては長命がむずかしいからと言って、遠州桜ヶ池に身を投じて蛇身と変じ、その時期を待ったという伝説が残っている。その阿闍梨はすでに今日大本に出現している。お筆先にもしめしてある通りである。(昭和七年七月)”

 

             (「玉鏡」より)

 

 

・大本と知恩院両教の提携 法然上人劇化を機に

 (「万朝報」昭和六年七月二十一日所載記事、『更生日記』 七の巻)

 

 大本教と浄土宗本山知恩院とは、昨春の宗教博覧会でやゝ提携の機運を醸したが、今回浄土宗宣伝のため京都祖山の教務所庶務部寺西聴学師作「法然上人」を劇化し、二十四日から三日間京都南座で上演し、続いて全国巡演に上がることになっているが、寺西師はこの程亀岡に出口王仁三郎氏を訪れ、両教は愈々完全に提携することになった。而して出口氏並びに親交のある頭山満、内田良平の三氏から同演劇部に幟を寄贈することになり、大本教後援の意義を明らかにするため寺西師監督の下に十八、九の両日亀岡町亀岡座で試演することゝなり、同時に同教内に法然上人の遺什を陳列し、教縁を永遠に結定する事になった。

 

      (「出口王仁三郎 歴史に隠された躍動の更生時代」みいづ舎より)

 

 

・浄土宗の聖僧、山崎弁栄上人の言葉

 

 「東京にきて見れば旧仏教の連中、空祖当時の叡山の僧党のそれと同じく、わが国民の心霊上のことには毫も介する所なく、ただ己が野心をたくましうして、己が肉あるの外なんの考えもなく、言語道断のふるまいにて候。天はわが国民の腐敗を救わんがために、新しく芽を出す兆候は見ゆれども、そわ神道がわにて候。」(明治45年)

 

       (田中木叉「日本の光(弁栄上人伝)」光明修養会刊より)