日本人の多くが知らない…「さいたま市」誕生の際に起きた大宮と浦和の「ヤバすぎるケンカ」

 

ちょっと読んでみたんですが、東京おられる記者の方の記事です。

当然、表向きの事は書かれていて、事実であることだけは書かれています。

 

私は、浦和市で生まれて、小学校6年生の春から大宮市に親の転居で移ったさいたま市民なんです。

その私が子供時代に見ていた事は、

 

浦和:文教都市

大宮:商業都市

という見方だったのです。

 

子供時代の思い込みですが、浦和は西口側に県庁、裁判所等の官庁街がありますから当然にしてここが中心地みたいな感覚があって、当時の東口側は恐いというイメージの個人商店ばかりだったように記憶しています。

浦和には百貨店がなくて、唯一あったのがイトーヨーカ堂浦和店でして、このイトーヨーカ堂浦和店の地下にあったフードコートでのフランクフルトを焼く匂いがずっと記憶に残っている。

母とよく買い物に出て、歯医者なんかもこの近くに行っていた記憶があります。

内科は元町の「古藤医院」というかつて軍医だった年配のお医者さんに風邪ひくと行っていました。

両親が結婚した当時元町(浦和駅と北浦和駅の中間くらいの位置)に住んでいたので、そこを利用していたからだと思います。

 

当時の大宮駅周辺は東口側だけが繁栄していて、西口側は寂れていました( ´艸`)

浦和に住んでいた頃も大宮には高島屋と西武百貨店がありましたから何度か母と買い物に行っています。

うちは父親が埼玉県北部の上里町出身でして、魚はほとんど食べて来なかったのに対して、母は静岡の鷲津という浜名湖のほとりで10代を過ごしていたようで祖母が市場でバケツ1杯で安く買える小魚をよく食べていたようなのです。

当然にして食文化の違う夫婦だったので食事はいつも揉めてました( ´艸`)

だから母と一緒に買い物で大宮に行くと必ず言ってもいいほど東口にある「東寿司」によってお寿司を食べる( ´艸`)

それは父がお寿司は手で握っているから「汚い」っていうんですよ、そのせいで父とは外食した記憶がほとんどないんです。

唯一父と外食した記憶があるのは今はないんですが、大宮バイパスにあった「大名ラーメン」というお店でラーメンを食べた事くらいです。

 

私が33歳の時に「さいたま市」は誕生していて、その2年後の区制施行から今年が20周年なんですね。

実際、浦和と大宮に住んでいた自分からすると、行政の予算メリットだけで合併になったとしか解釈していないのですが、個性が相当失われたと思います。

特に与野市も真ん中にあったからそれも一緒に吸収されてしまって。

与野は工場多かったから税収が多いという事で住民税が安かったので反対した人多かったんじゃないかな、でも周りをぐるりと浦和と大宮に囲われていた上に、与野駅も当時から浦和市内にあるという変な事になっていたので致し方なかったというのが与野市だったんじゃないかと推測します。

今は3市ともに一緒になってしまったから問題ないんだろうけど、与野の旧市庁舎辺りに行くとこの辺りに現在は法務局なんかがあって、さいたま新都心が近いので新たな都心になったところになっています。

さいたま新都心駅は元々はJRの列車操作場があったので広大な敷地に多くの線路が幅広く作られていたんです。

しかもさいたま新都心駅の前は大自然で、フィールドアスレチックがあったんです( ´艸`)

ちゃんとしたコースがった有料のアスレチックだったので、田舎だったんです( ´艸`)

それが今は高層ビル群が目の前にあってさいたまアリーナが出来てますからね。

 

なんかまとまりない事書いてますが、

現在、旧大宮市に住んでいる私からしたら、さいたま市になって行った頃がちょうど2001年ですから日本が落ち始めていた頃になるわけで、これもこうして現代における管理社会の始まりだったと考える事が出来ます。

 

ちょっと出かけるので、また日記で続きがあれば書きます。