名張市の青蓮寺にぶどう狩りに行ったことを Facebook に載せたら自分にしては反響が大きかったので二匹目のドジョウならぬ二房目のぶどうでブログにも書きます。ぶどうが大好物な私ですが、ぶどう狩りは子供が小さい時に行ったきりで本当に十数年ぶりに行きました。ぶどうの季節だなあと思いながら、いつか行こうという「心のふるさと」になっていたわけですね。亀山市から車で一時間の近場なんですが。

9月2日は十数年前にも家族でぶどう狩りに行った日です。どんだけ9月2日にこだわっているのかというぐらいで7月6日がサラダ記念日ならば9月2日は(市川家)ぶどう狩り記念日ということですね。

 

当日は日曜日だったので実質的に夏休み最後の日ということもあって、小、中学生は宿題をやらされているのかぶどう農園は空いていてお客は私と家内だけの貸切状態でした。今話題の前澤友作氏と剛力彩芽になったようなリッチな気分です。

机もいすも農園らしい飾らないしつらえで、農園にいる人たちも従業員の人たちも飾らない人達でした。取り放題のぶどうも数房も食べるとすぐに腹いっぱいになって1時間程度で出てきました。

巨峰とべにふじを交互に食べると甘みと酸味が交互に楽しめる

 

短い時間でしたが非常に充実した非日常な時間を過ごせました。 その日はぶどう園の人たちも台風情報をラジオで聞いて気にしていましたが、今日三重県に台風が来ていて、あのぶどう園のたわわに実ったぶどうたちははどうなっているのかなと気になっています。あの「巨峰」や「べにふじ」はどうなっているのかなと。昨日のうちに急いで収穫して出荷して、被害なしとかならいいけどショボーン

紅茶は緑茶用の急須でも淹れることができる。

 

白茶・紅茶づくりの大活躍の萎凋棚(いちょうだな)の前で

 

台湾に一緒に行った仲間たちと7月につくった紅茶を飲んでみました。耕作放棄地で一葉一葉手摘みされた紅茶はすっきりとして美味しかったです。その時に1月の台湾旅行の時のことをふと思い出しました。

台湾旅行中、以前このブログで紹介した陳さんの農園から山を下ってきたときのことです。タクシー2台に分乗して通訳の人とともに坪林茶業博物館に向っていました。

通訳の人は台湾の生活のことをいろいろ話してくていました。その時にふと大学時代に知り合った台湾人留学生の林(リン)さんのことを思い出しました。私が学生時代東京にいた時に西麻布に新しくできた中華レストランでアルバイトをしていました。その時のバイト仲間に台湾からの留学生の女の子がいました。林さんと言って当時流行っていたピンクハウスのワンピースが好きで毎週違ったのを着ていたので、ものすごいお金持ちのお嬢様なんだなぁと思いました。私は台湾からの留学生ということもあって興味がわいたので彼女を誘って渋谷で映画を観ました。映画は当時大ヒットしていたバックトゥザフューチャーでした。
その後も林さんとはバイト仲間のままでした。林さんは新しくできた同じレストランの吉祥寺店に移っていったのでその後は疎遠になってしまいました。

タクシーの中でそんな話をした後

「林さんはきっと台湾で今も裕福暮らしているだろうな~『たいぞうの作ったお茶 ならいくらでも買うよ』って言ってくれないかな。」などと言ったらタクシーの中の女性陣が「結局カネかい!」と言って全員ズッコケていました。

そんなことを思って言ったわけじゃなく昔のよしみで台湾に行って勉強をして、お茶をつくったと聞いたら林さんは喜んでくれるかな~と言うぐらいの気持ちで言ったのです 。

.ともかく台湾で突然懐かしいことを思い出しました。そんなことドラマの回想シーンだけだと思っていましたけどチュー

坪林茶業博物館ではいろいろな展示の中で烏龍茶の製造機械のミニチュアが良くできていました。

 

 

 

「うまいんぢゃ」という名前のお茶は亀山市西町にある岡田屋本店さんのために作ったお茶です。

岡田屋本店は私の叔母の嫁ぎ先で、「うまいんぢゃ」を作った20年以上前は、私より4歳年上のいとこの岡田昌(おかだまさる)くんが店主をしていました。
岡田屋本店のオリジナルティーを作ってもらいたいということで作りあげました。
お茶は素朴な亀山の煎茶という感じです。煎茶の王道といったところでしょうか。


「うまいんぢゃ」の新しいラベル

 


名前は私が考えました。岡田屋本店らしい遊び心のあるネーミングにしたいと思い、いろいろと考えている中で製茶工場から車をバックさせて出るときに
ふと思いついたのを今でも覚えています.。

岡田屋本店にあったプリントごっこを借りて長い間ラベルを作っていました。家内が描いたイラストをもとに一枚一枚刷りました。微妙に違う色のラベルができました。その後プリントゴッコの部品が生産中止になりパソコンのプリンターで刷るようになりました。なのでその後は同じデザインのラベルになりました。


プリントごっこで刷っていた旧ラベル


その昌くんも10年程前に若くして癌で亡くなりました。
亀山市内のお酒と食品を扱うお店の後を継いでからそのお店を自然食や伝統食、伝統的なお酒にこだわった品ぞろえで根強いファンをつかみ、また様々なイベントを毎日のように仕掛けていました。そうして月の庭という自然食レストランを作り自然食を提供しライブも行うそのお店は多くの人に愛されました。

昌くん自身も舞踏や音楽・執筆・社会活動などなど私も全部は知らないぐらい、いろいろなことをやっていました。

昌くんが亡くなって10年経った今でも彼の人脈やつながりの人達に会ったり一緒に仕事をしたりすることが多いです。本当にこの人もそうか、あの人も、その人もって感じです

いとこなので生前はあまり感じてなかったですが、時間がたつほどものすごい人だったのだなぁと思います。

三国志で例えるならば「死せるマサル生けるタイゾウを走らす」

(死後10年以上にわたって)
というところでしょうか。

20年以上ぶりの新ラベルでいろいろ思うところがありました。