場所:中5
面子:12名
女高:寺大町工乗靖(6)
女低:立つ宮(3)
男高:漏(1)
男低:神瀧(初!)(2)
練習内容:
「基礎」~ユニゾン、スケール、井戸端会議(マイ枕と低反発マットレス)
「譜読み」~12曲
227 秋の涙
228 夢
188 うぐいす
029 ロンドン橋
040 とんぼのめがね
048 草原情歌
068 THE LION SLEEPS TONIGHT
203 あこがれ
054 蛍の光
053 とりのうた
062 くらいスフィンクス
069 ももよせんせいのうた
今日は実質的には、久々の1桁。
休憩の時にサマコンの宣伝に来てくれたあかでみの諸君、肩透かしを食らわして悪かったね。
この後、後半に神野郎とタッキーお初がバスで加わってくれたんで、二桁になったけど、それまでは男は漏さんとTACOの二匹のみ。
TACOがなんちゃってバスをやるわけです。
しかしね、やっぱりこの少人数アンサンブルもかなり楽しいなぁ。
ホント、バーバーショップをやるようになって、カルテットの可能性と面白さを知ってから、合唱そのものに対する考え方が変わったね。
それと、声楽のレッスンね。一人で歌うことの面白さとか、難しさとか。
あかでみやらふぇらいいいんさんみたいな大規模の合唱団の範疇にずっーと居たら、同じ合唱団の練習でも今のような楽しみ方は多分出来て無いだろうな。
やっぱ、同じ歌でも色々な楽しみ方を経験することは大きいね。
本当はね、例えば今回でもね、もっと近寄ってね、寄り添うようにして歌うともっと気持ち良いよ。
ホント、極端に言うと顔を寄せ合うようにして歌うんだ。
どうしてもまだそこにはね、「合唱団」的固定概念みたいなのが、皆の中にもあるんだよ。
ちょっとよそよそしいんだよね。
ちゃんとした練習会場で椅子を並べて、ちゃんと練習しましょ、みたいなね。
ストリートって言うかさ、朽ちた倉庫の片隅とか、ビルとビルの谷間の袋小路とか(案外そんなところが良く響くんだけど)で、片寄せあって歌うとか演奏するとか、そんなの想像したことある?
実はババテシは、似たようなことをよくやってたんだ(必要に迫られて)。ビルの非常階段とかね、屋外で少しでも響きそうなところを探してね。そんな場末の所で、でも騒音の中で、自分達の声だけを聴き合う為に顔を突き合わせて、納得の行く音楽を目指して声を合わせるのは結構タマラナイ時間だった。
逆境は人を強くするよ(話しがそれてる)。
大勢の仲間で、絶対大勢で無いと奏でられない音楽をやるのも、時には本当にシビレルほどの快感があるけど、実はそれはもしかしたら意外と例外的な楽しみかもしれないし、音楽の本質的な楽しみのほんの一部かもしれない。
大勢で宴会でドンチャン騒ぎも楽しいけどさ、数人で屋台でワイワイ飲むのも、或いは二人でサシで飲むのはさ、また格別の喜びがあるでしょ?
むしろ酒を飲むということの本質的な楽しみとか喜びは、そっちのほうにあるかもしれん、とさえ思いますね。
ふふふ、久しぶりに我田引水してきたぞ。
こうなりゃ、さらに話をわけわからんようにしてやろう。
しかしね、これは自分自身の話で申し訳ないけど、ここまで書いたように自分も中に入って歌う事も楽しいんだけど、一方で指揮の楽しみってのがやっぱり厳然とある。
或いは、指揮を必要とするような合唱の楽しみという風に言い替えても良いけど。
以前は私は、指揮という役割にあまり拘りがなかったんだけど、最近は拘りたいと思うようになったね。
執着したいとは思わないけど、やっぱりね、正直言って、面白いんだよ。
だから、例えばSolfa!の中でも、皆と一緒に歌いたいという気持ちもあるけど、もう一方で、皆を前にして指揮をしたいという強い欲求がある。
以前に比べるとそういう思いがかなり強くなってきた。
このChor Solfa!の元締めとして、単に企画運営するという立場ではなくて、ある意味純粋音楽的にね。
なんだろうな…やっぱり指揮という表現方法でもって、それはそれで自己表現をしたいのかな…。
そんなの、当たり前だと言われそうだな。
ここらへんにしておこう。
さて、今日から9月の演奏会に向けて、一応そのレパを歌うようにしました。
ま、ボチボチやりますからね。
さて、私が選ぶべき合同曲、なんにしようかなぁ。
皆さんも何か歌いたい奴があったら、袖の下と共に持って来てね。