場所:中4
参加面子:弐七名(把握不能)
蘇富螺野:工、寺、姫、尚、乗、茉、完、靖、町、晴、宮(御見学!熱烈超歓迎!!) (十)
亞瑠兎:濱、好、晶、京、つ、佐、華 (七)
手脳婁:安、漏 (弐)
馬巣:軟、神、志 (参)
御囃子:ブ、雅、文、悠 (四)
練習内容:
「基礎」:ユニゾン、スケール、ハーモニー
今回はなんと晶さんのご紹介で、またまたこの合唱界の魔界に足を踏み入れてしまった、
命知らずの御麗人が御見学に御見えになりました。
なんでも大工仲間(カーペンターズ!)、
イヤイヤ、第九仲間(ベートーヴェーンズ!)でいらっしゃるそうで、
「ルートヴィヒ君!」なんて、もうダチ公呼ばわりの超エリートでいらっしゃいます。
「ブリューダー!」ってね。
それで、例によって少し丁寧に、でもかなり省略しながら説明付きで、
今回の基礎練習をいたしました。
ま、でもなんてったって、既に高校の時(だっけ?)に合唱の御経験がおありということで、
何とかファミリーって雑誌がそのうち取材に来るに違いないぐらいの、
英才教育をご経験のお方でありますから、なんてことはないんであります。
殆どいつも通りのペースでありました。
そうそう、今回パターン助手は茉ちんだったんだけどね・・・
それにしてもあの緑の指揮棒、なんで指揮棒に色つけるかなぁって本当に思ったね。
けどね、それは実はつまらん既成概念なんぢゃあないかと後でちょっと反省しました。
私も指揮者の端くれって言うか、考えたら学生の時から数えると30年ぐらい指揮してるってわけで、
やっぱり指揮者の唯一の道具である指揮棒は、これまでに何本も買ったり、
先生から分けてもらったりしてて、それなりのこだわりもあるわけです。
練習用と本番用もあるし、随分、実地で色々使ったりもしました。
で、確かに色もね、色というか素材ってことになるかもしれないけれど、
好みとしては真っ白な指揮棒よりも、木の素材そのものの色の指揮棒の方が好きなんです。
特に、今一番気に入ってるのは、その辺に売ってる既製品なんだけど、
素材がメールプルでやや短めなんだけど、
同じ既製品の中でも本当になかなかない絶妙のバランスのものが1本あってね、
それはもうちょっと本当に大事な本番の時とかの棒なんです。
本当に何も持っていなくて、腕の一部みたいな感じで振れるんです。
だけど、同じ本番でもね、レパートリーとか、合唱団の規模とか、どんなとこで振るか、
誰を相手に振るかで、実は指揮棒の色とか長さとか、結構微妙に使い分けてるんですね。
勿論、持たずに振ることも沢山あるし。
本当はそんな瑣末なことに拘る必要もないんだろうけど、ま、拘ってみたいわけですよ。
そういえば昔、藤井先生がある本番を振っている最中に、
停電かなんかで指揮者のスポットライトが消えちゃった時に、
指揮棒だけでは見えないだろうと、上着の裾をまくって白いワイシャツを大きく出して、
それで振って事なきを得たという話しを聞いたことがありますね。
なんか、いいぢゃないですか、こんな話し。
そんな話しなんかを聞くとさ、なんか拘りたくなるわけですよ、指揮棒一つにもね。
で、そんなことにも影響受けて、特に白い棒というのは、特に棒を目立たせたい時には必ず使うんです。
例えばちょっと暗い所とか、凄く広い会場とか、大人数とか、会衆にも見える必要があるとか。
で、例えば色の付いた指揮棒でも、黄色とかは確かに実用的だなぁと思うんですよ。
木製のものでも黄色に近いものもあるしね。
だけどね、赤はまだしも、緑や、まして黒なんてのがあるけど、
実用性から言ったらなんでそんな色なの?って思っちゃうんだな。
実際それで指揮したら少なくとも白い棒なんかよりずっと見えにくいよね、絶対。
で、そう、茉ちんが取り出した緑の奴、なんで緑やって思ったんだけど、
だけどよく考えてみると、例えばホワイトボードを指す時は、色の濃いほうが見やすいのよ。
むしろ、白い棒ぢゃ駄目なんだ。
完の持ってる赤い奴もそういう意味では、かなりそういうSolfa!的実用には即してるわけよ。
うーん、そういうこともあるって事だ。
まさかその為にその色を選んだわけではないだろうけど。
つまり、多分もっと根本的には、そんな実用ぢゃなくて、要は「遊び心」って事なんぢゃろう。
「指揮棒が赤だったり緑だったりで何が悪い!」って確かにそう言われればそうだ。
絶対に白っぽい必要はないもんね。
ということで、今回は茉ちんに一本取られたってことにしておくよ。
「移動ド一口講座」
一応御見学ということなんで例の移動ドなんちゃって早見方法を、ホントに短く・・・。
「譜読み」~9曲
203 あこがれ
204 瑠璃色の地球
205 ピアノ
199 Ubi caritas
182 赤とんぼ
185 茶わん虫
189 オンブラマイフ
087 Pie Jezu
195 世界に一つだけの花
さて、今回ようやく私の青春のセンチメンタリズムの極致、「瑠璃色の地球」の登場であります。
元々筆が凄く遅い私ですが、こいつは本当に随分時間がかかった。
それでも大半は随分早くに出来てたんだけど、後半の転調がどうしても上手くいかなくってね。
原曲は最後に半音上に転調するんだけど、どうしても納得がいかなくって、全音転調にしたんだけど、それでも随分悩みましたね。
出来るだけスムーズに。かつ難しくしたくなくて、原曲にはない間奏を入れてみたりもしたけど、結局は一番単純な方法にしてしまいました。
これがベストかどうか分からないんですけどね。
私はどうしても音が決まらない時は、試行錯誤で沢山ヴァージョンを作ってそれを聞き比べるんだけど、今度はそのスクラップが山のように出来てしまった。
編曲家というか、その辺が直ぐ出来る人は凄いなと思いますね。
ま、別にそれだけこの曲に対する思い入れが強かった、というわけではなく、これはこれなんですが、しかし、この曲、編曲が大体固まった頃、久々に聴き直してみたんだけど、やっぱりグッと来ましたね。
というかね、松田聖子さんね、ちょっと本当に稀に見る才能ぢゃないですか?
専門家の人なんかは結構、彼女の歌は上手くないって言ってましたけど、そんなことないと思いますね。
なんていうか、独特のニュアンス、歌いまわし、フレージング、そして声に大人びた艶と同時に幼い甘さが共生していて、曲の魅力というより、彼女の魅力が曲のイメージを作っちゃうんだと思いますね。
今の歌い手さんも上手な人が多いけど、聴いていて同じように聴こえる人が多い。
でも、聖子ちゃんは直ぐ分かるもんね。
それに、この曲は1986年の曲なんだけど、これを中森明菜さんが確か2003年頃に歌ってるんだけどね、確かに明菜さんは歌は上手い!なんってったって表現の幅が広いし本当に艶っぽい、色っぽい。
だからこっちもグッと来ます。
でもね、残念ながらこの曲に関しては、聖子ちゃんの勝ちですね。
当時「ブリッ子」って言葉が、そのニュアンスが聖子ちゃんを代表みたいにしてあったけど、そのブリッ子ぶりがね、極端に言うと聖子ちゃんに在って、明菜ちゃんにはない。
この言葉、さらに昔で言うと「カマトト」って言うのに近いと思うけど、いずれにしてもこれがね、使い方によるけど歌の場合、とっても活きると言うか、魅力になることがあるんだよね。
生身の人間、極端に言うとヌードをさらけ出す事も表現としては凄く力があって魅力的なんだけど、例えそれが嘘であるとわかっていても、フリフリのメイド服にも魅了されてしまうことが人間にはあるでしょ?
しかもそのメイド服が凄く似合っていながら、生身の人間とギャップがあったり、或いは例えばその人が歌っている歌なんかの表現していることとギャップがあると、むしろ謎めくと言うか、自分では理解しがたい、訳がわからない不思議のように思えて、魅了されてしまうってことあるぢゃないですか。
聖子ちゃんが歌うこの歌は、勿論、歌そのものも良いと思うんだけど、あの声にそういうものを感じませんかね。
だから、そもそもこういうものを合唱で皆で歌うなんてことは、ちょっと本当は抵抗がなかったわけでないんですが、でも、ま、いいぢゃないですか、所詮その辺はアバウトなんで。
ただ、だから、こういうポピュラーものを合唱でやる時は何の曲でもそうだと思うんだけど、原曲イメージを一端遠ざけて、出来るだけ一つのコーラスの曲として考えないといけないと思うんですね。
特に、歌謡曲は歌詞がある意味「クサイ」ことが多いんで、ちょっとその辺はかなりクールに考えないといけないと思いますね。
最近、合唱界でもポピュラーの作曲家の方が曲を提供したりして、それは良いことだと思うし、高校や中学の所謂「合唱コン」では、この瑠璃色だったり、スマップだったりの曲を良くやりますよね。
それも、ま、悪くないとは思うけど(本当はちゃんとしたクラシックもせめて同じぐらいやって欲しいと思うけど)、その時にどうしても、なんか、ポップスの曲が合唱になったとたんに、所謂合唱歌いみたいになって、曲がつまんなくなることが多い。
この理由は、最近何となく分かってきたんです。
で、私が最近ちょっとこれかなって思う、それを解決する一つの糸口がアメリカのバーバーショップカルテット(コーラス)にあるように思うんです。
いや、まだ全然確信があるわけでも、具体的な手法を考えたわけでもないんですが、でも、これまでの日本の伝統的な合唱の手法では、ちょっとこういう特にポップス系をやる時は行き詰るような気がしますね。
おっと、なんか全然別の方向に話しがいってるな・・・
うーん、考え出すと、キリがないんでこの辺にしとこう。
まさか、誰もマジメに読んでないだろうし。
ということで、あ、肝心の瑠璃色のおセンチ話をしてませんが、ま、良いや、全然大したことではありません。
長くなったついでに、
ちょっと今回の練習、というか最近の練習は、TACO的にはかなり反省しますね。
とにかくね、真面目すぎる。
確かにやりたいことが最近多いんだけど、ちょっと練習がせせこましいや。
もう少しチャランポランにしないと駄目だね。
来週は気楽にいこう。
(それにしても今回の記事は読み返すとホント長いね、無駄に。)