今日は、歯の定期検診日だった。
…のだが、年末、奥歯のかぶせ物が取れ、予約外で治療してもらった際、「次回は左上を治療してほしい」旨依頼してあった。
この左上(←欠損した歯を補うため、前後の歯一括でかぶせてある)ずっと調子が悪いのである。
熱いもの、冷たいものがしみるのだが、「即しみる」のではなく、一呼吸おいてからじわーっとしみる感じ。それも時によって、しみる感じが結構長い時間後を引く。
それなのに、咀嚼の際は、痛かったり痛くなかったりする。それも「嚙んだ瞬間」より「噛んで上下の歯が離れたとき」のほうに嫌な痛みを感じるのだ。
そして、この「しみる」も「痛む」も、我慢できないほどではない。それがかれこれ3か月以上、続いている。
…てなことで、今日はまずレントゲン、そして治療。
だが、恐れていたとおり、決定的な原因が見つからない。
結局、「ここかも?」と思われる虫歯部分を充填し、様子を見ることになった。これでだめだと、「ここかも?」部分を下から削り、神経の処置をする。最悪の場合、一括でかぶせてある3本分全摘。だが、となると、後ろの歯がおそらく一括のかぶせ物に耐えられず、今度はもう一つ奥の歯も含めて4本一括でかぶせるという「大工事」をしなければならないとのことだった。
…というようなよろしくない診察結果だったのだが、おかしなことに、しみじみと「私は幸せやなあ」と思ったのである。
ついこの前まで、コロナ禍で、歯科治療もままならなかった。
今、能登半島あたりでは歯科治療どころではない人たちがいっぱいいる。中には、歯が痛くてたまらない人たちもいるはずだ。
朝、食事ができる。念入りに歯を磨ける。存分にうがいができる。歯科に行ける。治療ができる。それがどんなに幸せなことか。
これら、決して当たり前のことではないのだ。
小学生の頃から診てもらっているこのかかりつけ歯科も、先生が代替わりし、子どもさんたちがあとを継いだ。
ホテルみたいなつくりの歯科や夜遅くまで診察している歯科、高額な機器があることを標榜している歯科など、それら別の歯科に通っていたら私の口中は今とは違う状態になっているかもしれない。だが、自宅の近くですぐ行け、ずっと診てもらっている安心感、それすらも実はとっても幸せなことなのだ。
…診察台に横たわりながら、この歯科治療一つとっても、私は何と恵まれていることかと本当に感謝した。
次回、3か月後の予約なのだが、受付スタッフに「痛みが出るようでしたら、また電話してください」と言われ、幸福感が倍加した。
幸せと 思えることにも 感謝する
鞠子