人間は、やっぱりバカになったのだと思う | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

いまさらナンだけど、今朝、「人間って、やっぱりバカになったのだ」とつくづく思った。

もちろん、私も含めて。

 

出勤途中、久しぶりにBACHのカンタータを聴いた。

しかし実にうまくできているこの音楽。歌と楽器、それぞれのメロディラインといい、絡まり具合といい、ち密なんだけど、ち密さゆえの余裕のなさを一切感じさせない曲の数々。これらをBACHは頭の中で思い、手で書き、残したのである。紙もペンも十分じゃない時代、楽譜をできる限り1枚の紙にぎゅうずめにして。

そうして大量の曲を産み続けた。

こんなこと、今の私たちにできるだろうか。

 

…と思ったら、漱石とか谷崎とかもそうで。

長編小説の数々を、頭で構想し、骨組みを書き(←おそらく)、細部をメモし(←おそらく)、最終的には手で書き上げる。

長い作品の中、矛盾している部分もあるにはあるだろうが、一般読者である私たちは一向に気にならない範囲のこと。

これも、今の私たちにはできない気がする。

 

今は、

パソコンで入力し、検索も削除も即座にでき、組み替えたり並べ替えたりも瞬時に行う。

へんな言葉遣いには、わざわざ波下線まで引いて出てくる。

作曲も作詞も、楽器の音の再生も、おそらく簡単にできるのだろう(←私はやったことがないが)。

 

こういう機械がなかったときと今と、人間自体のつくりはそんなに変わってないはずなのに、なぜ、今はできないのか。

これ以外にも、昔の人ができたことが、今、できなくなってしまったことはヤマのようにある。

それも「太古」じゃなくて、ついこの前。もっと言ったら、昭和の人、平成の人ができたことですら、今、できないことがあるのではないだろうか。

 

バカになっちゃったなあ、みんな。

とりあえず私は、よくかける電話番号が、全く覚えられない。

それを、「加齢」の一言で片づけられないのが怖い。

来年、再来年、きっとますますバカになるに違いない。

 

 

 

 

 

 

運動は してるが頭は 鍛えてない

鞠子

 

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