燦燦 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

今朝、NHKの『あさイチ』で、朝ドラの主題歌『燦燦』を、三浦大知さんのナマ歌で聴いた。

三浦大知ファンは大勢いるし、現に今朝のナマ歌はとても好評だったようだが、私は相当がっかりしちゃったのである。三浦さん、なぜ、あんな不自然なところでブレスするのだろう、と。

 

一つの言葉の途中や副助詞や格助詞の前でブレスするところが、何か所も目(耳?)についた。

特に副助詞や格助詞は、次の言葉の頭にくっついてしまって意味不明な新語に聞こえてしまったり、逆に、切るべきところで切らないため、聴いている私が息苦しくなったり。

 

こうなると、こちらはますます意地悪になり、今度は歌っている最中の姿が超々目につき出した。

アクションが大きすぎるから、息が続かないのではないか。

もちろん、わざと身ぶり手ぶりをしているわけではなく、三浦さんにとって歌うときに必要不可欠な動きであることは十分理解できる。

だが、あんなに大きな手ぶりをしなかったら息はもっと続くのではないか、とどうしても思ってしまう。

 

いや、いけないのは作曲家か。

歌い手の声質・声量・続く息の量を熟知したうえで、その人が自身の持ち味を最大限生かしたパフォーマンスができるよう曲をつくるのがプロの作曲家だと思う。

『燦燦』は、そうやってつくられてないのではないか。

 

『燦燦』は、とても美しい日本語によるとても穏やかでステキな歌詞なのだ。

今日、作詞する際の背景を聞き、さらに奥行きを感じた。

だからこそ、変なところでなされるブレス、なされるべきところでなされないブレスが残念でならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

つながりが 言葉の持つ意味 倍加さす

鞠子

 

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