この前、県文芸祭で佳作となった私の小説は、中心部分がオムニバスみたいな形式になっていて、3つの話が並んでいる。


一話目。

昨年、亡くなった音楽トモをモチーフに書いた。


二話目。

10年超前に亡くなった私の母の知人がモチーフになっている。


三話目。

やっぱり昨年、急死した大学時代の同級生の名前を使い、彼女をイメージして創作した。キーパーソンとなる二代目社長は、私の仕事上の客様であるK氏をモチーフにした。


つまり、どの話もモデルがいる。そして、もうこの世にはいない人が主要人物となっている。

気恥ずかしくて言いにくいけど、私なりの、彼・彼女らへのレクイエムであり、私なりの方法で「記録」として残しておきたい···いう思いも心のどこかにあった。

もちろん、本人たちが読んでも自分のこととは決してわからないほど、脚色したが。


だが、まさかの事態が起きた。

気恥ずかしくて言いにくい、などという生易しい話ではなくなった。

三話目のK氏が、亡くなった旨、知らせがきたのだ。

まだ60代前半。とても元気だったのに。少し前から患っていた、と今になって知った。そんな様子は全く見受けられなかった。

寝耳に水、というか、青天の霹靂、というか。


勝手にモデルにし、挙げ句、「無能で無教養なダメ二代目」として、相当、面白おかしく人物像を盛った。

3話のなかに出てくる何人かの登場人物のうち、一番、チャラく、薄っぺらい人物になっている。


これ、いくらなんでも後味悪い。

あまりにも、申し訳ない。

だけどこんなこと、決して誰にも言えない。







指先の  疫病神が  キーを打つ

鞠子

 

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