本日の映画鑑賞は『Fukushima 50』。
私的には観ない映画なんだけど、仕事絡みのリサーチも兼ねて、ということで観た。
うーん、こういう題材の映画化は難しい。
多くの人が、まだ、東日本大震災を実感として知っている。それも、地震より「津波」、さらには「原発」のインパクトの方がより強い。そんな段階で、ドキュメンタリーではない、かといってフィクションでは決してない、ほぼ事実&ほぼ実名という事柄は、どう描いても違和感がある。
原発が壊れ、放射能を広範囲に撒き散らす最悪の結果を避けるため、命がけで事態の収拾に向かう人たちの使命感や友情、連帯感は、観ていて確かに泣ける。映画のテーマとしては、充分説得力がある。
しかし、現状は「そんなことを考える余裕など一切なかった」ほどに切迫していたに違いない。私を含め、現場にいなかった私が軽々しく「想像できます」などと、言えるはずがないくらい。
アメリカのヘリによる支援も、人間愛の象徴として美しく描かれている。
でも、こんなふうに使命感や友情や連帯感で「美化」してはならないのではないか。
美化して、ごまかしてはならないのではないか。
これが例えば100年後の上映なら、全く話は違ってくる。
語り継ぐべき出来事、まつわる人間模様として描かれる価値がある、と思う。
描くなら、今はまだ、ドキュメンタリーとして、事実を冷静に、たんたんと、粛々と行うべきだと私は思う。
ラスト、吉田所長の葬儀と美しい桜並木の映像で、違和感は決定的になった。
福島も原発も、まるでハッピーエンド。
基本的には何も解決していないのに。
さて、原作はどういう描かれ方で、どういう終わり方なんだろう。
映画を非難した以上、読んで確認すべきなんだけど、正直、読む気をなくした。それにただいま積読状態だし。
スミマセン。勝手な言い散らかで。