最近、新聞紙上も「コロナ一辺倒」ではなくなってきた。

それでもコロナ関係の記事はそこそこ載っているのだが、内容が大きく変わってきた。一時期は「〇〇人感染」とか「××でクラスター」とか「△△業に自粛要請」とか「某首相、政策後手」とかだったが、このごろやたらと出てくるのが「寄付・寄贈」の類。

 

マスクやフェイスシールドといった感染予防グッズ。

医療従事者の皆さんへのお弁当。

お金そのもの。

ブルーインパルスの感謝飛行もあった。

 

みんな大変なのに、こういう記事を見るとすごいな、と思う。

ただ、寄付・寄贈された側の本音はどうなんだろう、とも思ってしまう。

 

昨日など、花卉生産者団体が病院を訪れ、医療従事者の方々にバラの花束やメッセージを贈った、なる記事が出ていた。

私がもしもらう側だったらどうか。

気持ちは充分、ありがたい。バラはきれいだし大好きだし、もらったらうれしい。しかし、病院内で匂いの強い花、それも生花はいろいろと問題アリ。それ以上に、贈呈にいらっしゃる際、病院長や婦長が応対せねばならない。取材も来るから、それなりの体制を整えなければならない。今、とにかく時間が惜しいのに…正直、そんなふうに思ってしまう気がする。

 

被災地に、えらい方々や著名人がお見舞いに行く、というのも。

例えば避難所で暮らす人々にとって、どんなに心が救われるだろうか、とも思う。生きる気力が湧いてくる人もきっといる、と思う。

私だって、目の前で「がんばってください」と声をかけられたら、絶対うれしい。

でも、そのために、警備を整え、護衛をつけ、交通整理も必要で…となったら、「今、それどころじゃない」とも思うのではないか。

 

寄付・寄贈・お見舞いに、パフォーマンスという下心はゼロ、とは思えない。

 

かくいう私も、医療従事者の皆さんと日赤に寄付をした。

でも、寄付者として名前が出るのは絶対にお断りしたい、と思う。

少額だから、というわけではない。私は「寄付しました」が気恥ずかしい。なによりパフォーマンスと思われるのが嫌でたまらない。