トヨタとソフトバンクが提携するというニュースを見た。
その中で『イーパレット』なる次世代車の映像を見て、ただただため息が出た。
こういうことができるまで、技術が進歩したことの驚き。
その一方で、いいのか、これで、という不安。

一見、大きな「直方体の箱」みたいな車。運転手はいない。
「スニーカーが買いたい」という操作をすると、スニーカーショップと化した直方体の箱が、自動運転で指定地までやってくる。
その中で、あれこれ試し履きをし、購入する。
おそらく、現金の授受などないんでしょうね。

あるいは、出先で急に泊まらねばならなくなったとき、操作するとワンルームホテルと化した直方体の箱がやってくる。
そこで安心して一泊できる。

これら、たとえば体動にハンディがある人や高齢者、公共交通が整備されていない地域に住む人にとっては、大変便利だと思う。
だがしかし、こういう便利さは人間が本来持っている能力をダメにしていく側面があるのではないか。
例えば「歩く」「おつりを勘定する」「人と話す」。これら、何もしなくて済んでしまう。

職場で若いオトコ後輩にこんな懸念を話したら、彼曰く、「それがまた想定外のビジネスチャンスを生むかもしれません。スポーツジムだってそうじゃないですか」。
なるほどな。「歩く」しか移動の手段がなかった時代なら、スポーツジムなど全く意味をなさなかったはずだ。
考えてみれば、さまざまな進歩はすべて「いかにしたら楽できるか」「いかにしたら便利か」を追求した結果だ。結局、「人間が本来持っている能力」を使わないように、使わずに済むように進んできたということになる。

近い将来、「手書きで漢字が書ける人」など「超人」扱いかも。
1字書いたらいくら、なんて、それこそ新たなビジネスチャンスかもしれない。
…などと欲深いことを考えたわけではないが、私、今、『漢字書き10番勝負』なるアプリでせっせと漢字を書いている。
 
…だって、人前で難漢字書けたら、カッコいいもん。
 
 

さらさらと難漢字書く素敵人
鞠子