「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産への登録が正式決定した。
おめでとう…と言うべきなのだろうが、いろいろ考えてしまう。
宗教を信じるというのはどういうことなのか。
迫害されてなお、信仰を捨てない強さはどこから生まれるのか。
私は無宗教の人なので、どうしてもわからない。だからなおさら、興味をかきたてられる。一種、惹かれる気持ちもある。
遠藤周作の『沈黙』を初めて読んだとき、あまりの衝撃でしばらく立ち直れなかった。
信仰の強さと、それを捨てさせるためにここまでおぞましい心身への拷問を思いつく悪魔性と。
どちらも同じ「人間」が持っているものなのだ。
天草には一度、行ったことがある。
清く荘厳な建物の数々。だが、この付近で多くの人が苦しみ続けたかと思うとたまらなかった。
出臼・肥料・三太丸屋… これらが「デウス」「フィリオ(キリスト)」「サンタマリア」を意味していると知った途端、なんとも素朴な熟語であるが故、なおさら悲しく感じられた。
ここでうめき苦しんだ人々を思うと、何だか簡単に「おめでとう」と言えない気になってしまうのである。
Eli, Eli, Lema Sabachthani?
エリ エリ レマ サバクタニ
ーわが神、わが神、なぜ私をお見捨になったのですか