『学生との対話―小林秀雄講義』を読んでいて、考えさせられるキーワードを見つけた。

「想像力」、あるいは「想像すること」。

特別難しい言葉でも何でもない。でもこれ、最近の私たちに決定的に欠けていることではないか、と思ったのだ。

考えてみれば、日々、すべて「想像すること」で成り立っている。
たとえば、目玉焼きをつくろうとすれば「フライパンに油をひき、卵を割って熱すれば、目玉焼きができるという想像」が元になっている。
細い道で運転中、対向車が来たら、相手の表情や視線を見、「先に通してくれるんだな」と想像する。
私など、練習すれば、多少でも歌がうまくなれる、と想像して歌っている。

すべて、そうではないか。

でも、会話をしているのにスマホに気を取られていたら、相手は嫌に思うだろうな…という想像ができない。
満員電車の中で、荷物が一人分の座席を占領していたら、みんな、腹が立つだろうな…という想像もできない。

こういう「想像できない故の不愉快さ」に遭遇することが、多くなっている気がする。
これはともすると、「生きにくい」ということだ。
そして、乱暴に言ってしまえば「想像しない人間は、つまらない」。
 
小林秀雄は「想像力は磨ける・肉体同様、精神も鍛えなければだめだ」と言っている。
これこそが「経験を積み重ねる」、そして「考える」ということではないか。
 
ちなみに「想像する」とは、「空気を読む」とイコールではない。
「空気を読む」のは、想像するよりむしろ、「自分の想像したことより、まわりの雰囲気を優先し迎合する」というニュアンスが強いと思う。
 
小林秀雄は難解で、私にはなかなか理解できない。だからこうして気になる部分を自分なりにつきつめて「想像してみる」という読み方をすると、違った楽しさがあることも発見した。




花を見て樹を見て愁う物想う
鞠子