先だっての文学講座で、H教授からこんな言葉を初めて聞いた。
「シラバス」
今や大学では、当たり前の用語なんだろうか。
いわゆる「学習計画」という意味で、これを出すことを義務づけられているらしい。
それもずいぶん詳しいものを要求されるのだとか。
H教授が実際につくったものを見たのだが、なんだかとっても違和感を感じた。
こういうものがあれば、予習する目安になる、とは思う。
しかし文学の授業で「○月○日は××という講義だから、△ページまで読んでいけばいいんだな」というのもヘンな話ではないか。
とりあえず、「まずは一通り読む」というのが前提なのではないかと思う。
先生だって、こんなものに縛られたらかなわないだろう。
時事問題だって入れ込みたいだろうし、講義をしている間に予定外の事項が浮かぶことだってあるだろうし、学生の顔を見て、今日はレポート作成にした方がいいなと思うことだってあるだろうし。先生だって人間だもん、興が乗らないことだってあるだろうし。
「研究」と名のつくものに、「計画通り」なんてあるのだろうか。
少なくとも私が学生の時は、シラバスなるものは、教授の頭の中にしかなかった気がする。
もっともっと自由に、日々の講義がなされていた気がする。
そういう「車のハンドルの遊び」みたいなものがないと、決していい研究はできない気がするんだけどな。