ここ数日のうちに、考えられない状況で私物が2つ紛失した。

一つはCD(-_-;)
日曜夜、『メサイア』の練習に行き、帰り道、車のCDを『メサイア』から『H-moll』に入れ替えたのである。
それぞれCD2枚組。
運転しながら、まず『メサイア』のCDを取り出し、ケースにしまった。
そして『H-moll』のケースから1枚取り出し、セットした。
手探りで入れたため、後半部のCDを入れてしまったが、そのまま聴き続けた。

そして月曜日、前半部1枚目のCDに交換しようとしたときに、初めて「H-mollがCDケースごと紛失している」ことに気がついたのである。

『メサイア』帰り道、音楽トモたちとファミレスに寄った。
考えられるのは、その駐車場で車から降りる際、CDケースが落ちたということ。
しかしそれなら、かなりの音がするはずだ。
もちろん気づかなかった。
再び乗りこむ際にも、落ちていなかった。

盗られた?
そんなメジャーな曲ではないだろう。
おまけに前半部の1枚しか入っていないし。

ここだけの話、友人にコピーしてもらったCDだ。
ただし、装丁は凝っていたが。
それよりなにより、グレゴリオ聖歌も入っていて気に入っていたのに。

そしてもう一つの紛失物(-_-;)
それはランチバンド。
複数のお弁当箱を束ねるゴム製のバンドだ。

私は今、ハロー・キティの2段弁当箱を愛用しているのだが(←年甲斐もなく)、そのおそろいのランチバンドがなくなってしまった。

お昼は職場で食べた。
しかし、職場にはもちろん、お弁当を入れる保冷バックの中、カバンの中、どこをさがしても見つからないのである。

CDもランチバンドも確かにこの世に存在した。
私は毎日、入れ替えたり、しまったり、聴いたり使ったりしていた。

それが忽然となくなったのである。

自分の行動をふりかえってもなくなるはずがないものなのに、である。

こんな怪奇的かつ理不尽なことがあってもいいのか(`Δ´)

…と憤懣やるかたない思いの中、ふと思い出した。

大岡昇平の書いた『疑惑』。

これは短編推理小説傑作編。
ドロドロ恋愛から目を覆いたくなるよな戦場まで書くこの人、実は推理小説も書いているなんて、大変な驚きだった。

今や「推理小説」とは、複雑にからみあう人間関係、おどろおどろしい殺人現場、デジタル系のツールを駆使した犯罪などが非常に凝った構成で描かれ、読み終われば意外な犯人が判明。読者としてはすっきり一件落着するものだが、この『疑惑』はちと違った。

事件自体はすべて単純。複雑怪奇な筋立ての推理小説に慣れてしまった私としては、肩透かしを食ったような気になった。

その上、もっと衝撃的だったのは、「犯人がわからないまま終わってしまう」作品があったこと。
つまり、永遠に犯人はナゾなのである。
「世の中には、このように解決できないことがある」とか何とか、人を食ったような締めくくりで。

私のCDもランチベルトも、永遠に出てこないだろうな。
大岡先生が言う通り、
世の中とは、このように解決できないことがあるものだから。(←悔しさ、押し殺しつつ)



CDもベルトも天か地に消えて  鞠子