芥川賞作家・平野啓一郎氏の「安保を考える」という発言エッセイを読んだ。
平野氏は、一貫して安全保障関連法反対を主張している(…らしい。エッセイを読むまで知らなかった)。
その主張以前に、とても興味深い視点の提示に惹かれた。
ひとつ目、「いくら批判しても、自分は安保法成立を許してしまった時代の人間だ、という責任は免れない」ということ。
これってすごく大切な考え方だと思う。
「オレはずっと反対してたんだから、あとは知らん」…では済まされない。
オレも同罪だ、ということでしょ。
そしてふたつ目。「いったん決まったことに黙って従うというのは、日本によくある考え方だけど、この機会にやめるべきだと思う」という意見。
これは、賛否両論ある考え方だと思う。
認めたら、多数決は全く意味をなさなくなる。
例えば会社内でこれを認めたら…
小規模企業はひとたまりもなく崩壊してしまう。
平野氏は、納得できない以上、反対し続ける、と綴っているが。
それからみっつ目。「人は対立点から話し始めると対立にしかならない」ということ。
なるほどな、そうかもしれない。
意固地になってしまう、というか。
ただ平野氏は、「何か共通点があれば軟化する」とも指摘している。
それで、
安保法、って、どうすればいいのさ。
戦争に行きたくない、というのは、利己的か?
大切な人を戦争に行かせたくない、というのは、わがままか?
違う、と思う。
よしんば利己的だと言われても、私は戦争に行きたくないし、大切な人を戦争に行かせるのはヤだ。
みんな、そう思ってない?
そうでしょ?…