お盆休みのうちに観た映画の1つ『ターナー、光に愛を求めて』。
イギリスの風景画家・ターナーの人生を描いた作品だ。

ターナーの絵の色調、私はもともとすごく好き。

前に『ルノワール 陽だまりの裸婦』を観たときにも同じことを感じた。
海外の画家の伝記作品って、映画の映像自体が「その作家の描く絵そのもの」みたいなの。
光の加減や色の使い方、全体のトーン…すべてがルノアールの絵そのもの、ターナーの絵そのもの。
こと、今回見た『ターナー…』は、オープニングの抽象的な映像からすでに「ターナーの色彩」を想像させ、いきなり感動してしまった。

さてその内容は…
このターナーという画家、自由奔放というか変わり者というか、不器用というか。
演じたティモシー・スポールが非常にブサ個性的というか。
あまりに印象的だったので、あとでホンモノのターナーの自画像を検索したら、結構イケメンではないか…
笑ってしまった。

もひとつ印象に残ったこと。
ブースという、ターナーを支える女性が登場するのだが、この人、決して「美人」ではない。
しかしおおらかなのである。海のようにふところが深い。

う~ん、包み込むよな女の愛、か…

ところで、
今、たまたま『漱石の思い出』を読んでいる。
漱石の奥様、夏目鏡子の口述を、松岡譲が筆録したものなのだが、この奥様も大変おおらか。
漱石は精神的な病を抱えていて、家の中ではずいぶんひどい言動をしているのだが、奥様、泰然自若としている。
小説が売れる前は、食べるものにも事欠くほどの貧困状態。
しかし、悲壮な覚悟…という感じではなく、責めるでもなく嘆くでもなく、そっと見守りつつ、ごくふつうに接している。

鏡子夫人あっての漱石だったのだということを、痛感した。

芸術で大成する人たちのうしろには、こんな心の大きな女性がいる…

ターナーも漱石も、もちろん創造したものはすばらしいが、陰で支えた女性たちも本当に素敵なのである。

…ああ、チマい私は、間違ってもこうはなれぬな。