ナミダのクッキングNo.1648 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

夏目漱石の『永日小品』の中にある『下宿』に「化粧の淋しみ」という表現があった。

詳しいあらすじは割愛する。
漱石が暮らしたロンドンの下宿のおかみさんが、ひどく「まずい」のである。
「ブス」とか「ブサイク」とか言えばそこはかとなく可愛さもあるが、漱石先生もなにもここまで書かなくとも…と思うほど、そのまずさを辛らつに表現している。

ところがそのおかみさんが、ある朝、少し「化粧」をしていることに漱石は気づいた。
漱石が気づいたことを知って、おかみさんははにかんだ顔を見せる。

しかし漱石は、おかみさんの顔を見て、「化粧の淋しみ」を覚えるのだ。

なんて、悲しい言葉だ、これ。

講義でこの作品を取り上げた際、H教授は、この「化粧の淋しみ」という言葉をやけに強調した(←ように聞き取れた)。
もちろん個人を狙って意地悪く言っているつもりは毛頭ないだろうが、私はますます悲しい気持ちになった。

なにしろ、最近、気にしていることであり、「痛いところを突かれた」からなのである。
それを「淋しみ」と形容することは私の語彙力では思いもつかなかったが、まさしくぴったりではないか。

シミ、シワ、タルミ、クマ、乾燥…これらを隠そうと、私は毎朝必死になっておる。
ファンデーションをパテのように塗りたくり、あちこちラインを必死に入れておる。
必死になる時間がどんどん増えていく。
しかし、どんなに尽力しようとも、シミもシワもタルミもクマもまったく隠れやしない。

それどころか、夕方ころになると、「必死に尽力した」分、よけいに「よれて剥がれた壁土」みたいな様相になっていたりする。

ああ、「化粧の淋しみ」とはまさしくこれのことではないか。
なんてうまいこと表現するんだろう。

…しかし、漱石先生もH教授もひどすぎるな。
乙女(自称)心をズタズタにして。