スイミングトモMさんに県交響楽団の演奏会チケットをいただいたのだが、今回は行けない。
行けそうな音楽トモも見つからない。
Mさんにお詫びしたところ、「処分して下さい」とのことだった。
それが、土壇場になって「行きます」という人が見つかったのである。
昨年から、片道1時間、車を飛ばしてI町まで『メサイア』を歌いに行っている。
今年、I町はオケピットも設備されたよな、すごい公民館が落成する。
それを記念して、来年2月、町民の方々が中心となって『メサイア』を歌うのである。
それも、バッハコレギウムジャパンの青木洋也先生の指導で。
「年数だけは長いこと」BACHを歌わさせていただいている私としては、またとない勉強の機会となっている。
で、「県交響楽団の演奏会チケット」をもらってくださったのは、この『メサイア』で知り合ったBさんという女性。
Bさん、「私の歌を隣で聞いているのが好き」なのだそうだ。それでしょっちゅう「隣に座らせて」と言われる。
これは決して私の歌が上手だからではない。
私は結構マジメに音とりをしていく(初見では歌えないため)。
毎回、漫然と歌ってない(なにしろ、うまくなりたい欲が深い)。
自分の欠点がみえるだび、直そうと必死に試みる(でもなかなか直りゃしないが)。
それになにより、いかにも楽しげに歌っているように見える(確かに、とにかく歌うのが好きなので)。
だから、隣にいて安心なんじゃないだろうか。
ちなみにBさん、「ほとんど歌っていない」というか「歌えなさそう」で、歌声は全く聞えてこない。
それでこの方、「演奏会行ってきた。すごく楽しかった」と、先週の日曜日、お礼の菓子箱をわざわざくださったのである。
大変申し訳ないことをしてしまった。
私は「もらったチケットを横流し」しただけなのだ。
何度か、「このお菓子はいただけない」「いや、気持ちだけだから」を繰り返したが、あまりに固辞するのも大人気ないと思い、最後はお礼を言っていただいてきた。
しかし、なんとなく気がひける。
かといって、またなにかお返しするのもヘンな堂々めぐりになる。
…といろいろ迷ったが、結局、私の持ってるゲオルグ・ショルティ指揮『メサイア』CDの○ピーをあげる(たぶん違法なので伏字にしました)ことにした。
非常に残酷な言い方だが、初心者に『メサイア』は歌えない、と覚悟したほうがよい、と思う。
音楽の基礎知識ほぼゼロから始めて「年数だけは長いこと」歌っている私の体験によると、とにかく1年目は、「何とかして正確に音をとる」。
2年目はそれプラス「人の音を聞く」。
3年目はさらにプラス「主題の受け渡しを意識する」
…と何年も何年も延々、歌い続けて、ようやく少しずつ上向いていくものだと思う。
合唱にしろソロにしろ「歌」とは(…っていうか音楽全て引っくるめて)、非常に奥深いものであり、一朝一夕にできるものではない。
一朝一夕にできると思っている人は、上達しない。それどころか、年齢とともに「下手」になっていく。
…で、そんなナマイキなことは私の口からBさんには言えないが、せめて、プロが演奏した全曲を聞いて楽しむことや、自分が歌うところだけじゃなく、全体の流れをつかむことはとっても大切よ、ぐらいは言える。
もし、他の指揮者のCDを持っていらっしゃれば、冒頭のシンフォニアを聴き比べるだけでも、その表現の違いを充分楽しめると思う。
…ということで、IT弱者の私は、職場のオトコ後輩に「依頼」という形の「命令」をし、ショルティの『メサイア』を○ピーしてもらったのである。(←これ自体はどうかと思うが…)
行けそうな音楽トモも見つからない。
Mさんにお詫びしたところ、「処分して下さい」とのことだった。
それが、土壇場になって「行きます」という人が見つかったのである。
昨年から、片道1時間、車を飛ばしてI町まで『メサイア』を歌いに行っている。
今年、I町はオケピットも設備されたよな、すごい公民館が落成する。
それを記念して、来年2月、町民の方々が中心となって『メサイア』を歌うのである。
それも、バッハコレギウムジャパンの青木洋也先生の指導で。
「年数だけは長いこと」BACHを歌わさせていただいている私としては、またとない勉強の機会となっている。
で、「県交響楽団の演奏会チケット」をもらってくださったのは、この『メサイア』で知り合ったBさんという女性。
Bさん、「私の歌を隣で聞いているのが好き」なのだそうだ。それでしょっちゅう「隣に座らせて」と言われる。
これは決して私の歌が上手だからではない。
私は結構マジメに音とりをしていく(初見では歌えないため)。
毎回、漫然と歌ってない(なにしろ、うまくなりたい欲が深い)。
自分の欠点がみえるだび、直そうと必死に試みる(でもなかなか直りゃしないが)。
それになにより、いかにも楽しげに歌っているように見える(確かに、とにかく歌うのが好きなので)。
だから、隣にいて安心なんじゃないだろうか。
ちなみにBさん、「ほとんど歌っていない」というか「歌えなさそう」で、歌声は全く聞えてこない。
それでこの方、「演奏会行ってきた。すごく楽しかった」と、先週の日曜日、お礼の菓子箱をわざわざくださったのである。
大変申し訳ないことをしてしまった。
私は「もらったチケットを横流し」しただけなのだ。
何度か、「このお菓子はいただけない」「いや、気持ちだけだから」を繰り返したが、あまりに固辞するのも大人気ないと思い、最後はお礼を言っていただいてきた。
しかし、なんとなく気がひける。
かといって、またなにかお返しするのもヘンな堂々めぐりになる。
…といろいろ迷ったが、結局、私の持ってるゲオルグ・ショルティ指揮『メサイア』CDの○ピーをあげる(たぶん違法なので伏字にしました)ことにした。
非常に残酷な言い方だが、初心者に『メサイア』は歌えない、と覚悟したほうがよい、と思う。
音楽の基礎知識ほぼゼロから始めて「年数だけは長いこと」歌っている私の体験によると、とにかく1年目は、「何とかして正確に音をとる」。
2年目はそれプラス「人の音を聞く」。
3年目はさらにプラス「主題の受け渡しを意識する」
…と何年も何年も延々、歌い続けて、ようやく少しずつ上向いていくものだと思う。
合唱にしろソロにしろ「歌」とは(…っていうか音楽全て引っくるめて)、非常に奥深いものであり、一朝一夕にできるものではない。
一朝一夕にできると思っている人は、上達しない。それどころか、年齢とともに「下手」になっていく。
…で、そんなナマイキなことは私の口からBさんには言えないが、せめて、プロが演奏した全曲を聞いて楽しむことや、自分が歌うところだけじゃなく、全体の流れをつかむことはとっても大切よ、ぐらいは言える。
もし、他の指揮者のCDを持っていらっしゃれば、冒頭のシンフォニアを聴き比べるだけでも、その表現の違いを充分楽しめると思う。
…ということで、IT弱者の私は、職場のオトコ後輩に「依頼」という形の「命令」をし、ショルティの『メサイア』を○ピーしてもらったのである。(←これ自体はどうかと思うが…)