朝刊の教育関連ページでこれを見つけ、とても懐かしく思った。
『自由に何でもノート』
子どもにノートを与え、何でも書かせることをおすすめする、という記事だ。
これを書いたのは、家庭教育プロデューサー・酒井勇介氏。
記事中では、「見たものの絵を描く」「感じたことをまとめる」「漢字や計算の練習記録」など何でもOKとある。さらには「1日1行でもいい」と。
こういう習慣がつくと、逆に「今日のネタ探し」をするようになり、考える力がつく、というのだ。
実は私も小学3年のとき、担任がこういうノートを提案した。
宿題は毎日「このノートだけ」だった。
確かに漢字の練習をした日もあれば、教科書を写した日もある。
小銭の一部を拡大して描いて、「これ、なぁんだ」みたいなクイズを作った日もある。
何でもよかった。何を書いても、先生はきちんとコメントを入れてくれた。
高校1年のときにも、現代国語のW先生が、この手のノートを提案した。
小説でも新聞記事でもマンガでも折り込み広告でもいい。目にしたものの感想を、字数制限なし、形式問わずで書いて提出する。
それも、「出したい人だけ出す」というスタイルだった。
実はW先生の授業は、全く面白くなく超不人気。
先生自体が陰険で無愛想。みんな、机の下で他事をしていた。
だけど、私はこのノートをせっせと出していたな。だって先生のコメントが、いつも「本気」だったから。
私が教科書に載っている文豪の作品を不遜にもさんざんけなしたら、先生も「同感」の意を示してくれたりするので、読むのが楽しかった。
学校で学んだことなど具体的には何も覚えていないが、この小学生のときの「自由ノート」と高校生のときの「感想文ノート」だけは覚えている。
とてもなつかしい。
今、本を読んだりこうしてブログを書いたりできるのも、この2種類のノートが原点だったのではないかと思っている。