「結び目の研究をしている」
…思わずワロタ(*´∀`)♪
国立G大教育学部で「結び目の形」について研究しているという紹介記事を読んだ。
記事にはスニーカーの靴ひもやノットヘアー(編み込みみたいなものか?)の例が挙げられていたが、そういえば、今、考えただけでも、ゴムとびのゴムとか、荷造りロープとか、書類のとじひもとか、「結び方」はいろいろある。
世の中にはどのくらい異なる結び方があるのか、という疑問から始まったのが「結び目の研究」なのだそうだ。
…いかん、やっぱり笑える(*´∀`)♪
実はこの研究、分子構造の研究、量子場理論の分野、スマホのゲームなどさまざまな分野に関連していて、「世界的に研究されている最先端の分野」、とのこと。
それだけではない。
「トポロジーとよばれる幾何学で、結び目を見事に数学的に実現できる」のだそうだ。
…いかん、理解を超えた。もう笑っていられない(-_-;)
最先端の分野でも、スタートは身近に転がっている「結び目の種類」という些細なことだった。
こんなふうに、「あたりまえ」に見過ごしていることのなかにすごく奥深いものが隠れているのに、なかなか気づかない。
いろんな知識が中途半端に入り込み、かつ、日々に追われ、かつ、慣れてしまってますます鈍化する。
幼い子どもの方が、純な分だけ「疑問を持つ」能力はすごい。
ところで、昨日、またレポートが課された。(最近、イジメのようにレポートが課されておる)
太宰治『人間失格』のなかに、一見「本筋とははずれたどうでもよい説明」が( )でくくられて長々と書かれているところがあるのだが、そこをどう読むか、がレポートのテーマ。
なんだって?
そんなとこ、あったか?
言われて再読したら、確かに長い。しかも、どうでもよさそな内容だった。
…自分で読んだときには、全く違和感を抱かなかった。
もちろん、「違和感を抱かせない」からこそ太宰は超一流の作家なんだし、楽しみながら読むことが前提なので、気づかなかったことはさして問題ではないだろうが、やっぱり「あたりまえ」に見過ごしてしまって、講義で指摘されなければ考えることもしないわけで、そうしてますます鈍化していき…
…「結び目の研究」を笑っている場合じゃないのである。