自分の文章感覚をこう言いきってしまう割り切り方が、文学作品を読む場合には、やや気になりますね。
ご自分自身を割り切りすぎているのではないですか、と聞かれたらどう答えるか、考えてみて下さい。
描き方が違う…一体、どこが違うのか、もう一歩踏み込んで考えてみて下さい。
〈美しさ〉という言葉は要注意です。
…等々、読後感レポートに、H教授が書き込んでくれた。
考えること、追求することを止めて、適当なところでまとめるな。
安易に形容詞を使うな。
そして、
自分を過大評価するな。
1年に20回程度、1回につき1時間半、それも一方的に講義をするスタイルの授業なのに、U教授は的確に私の弱点を見抜いている。
こんなに人を見る目が鋭い人は、そうそういない。
だから私は、H教授が「尊敬しつつ好き」なのだ。
言葉は優しいが、今の私にはとても痛烈な指摘。
何か書く。
下手過ぎる。
書こうとしたことが、全く表されていない。
自分すら、読むのが苦痛だ。
…と思う半面、
書くことにおいて、私は人と違うのだ、いう思いもゼロじゃない。
劣等感と優越感が、ぎりぎりのところで押しあいへしあいする苦しみ。
音楽もそう、か。
優越感の部分を取り払わないと、成長は見込めない。
H教授、〆のコメント。
近松秋江がわかる…ならば、もう少し〈狂おしいもの〉にまで追求してみるといいと思います。
指摘されたことが「その通りだ」と思っても、どうしたら直るのかわからない。
あるいは、
指摘されて初めて、「言われてみれば、確かにその通りだ」と気づくこともある。
いずれにしても、
気づくことと、それを修正できることは、全く別物。
もっともっと追求せよ。
そして悩み、苦しめ。
趣味の世界なんだし。
別に、テキトーにやってればいいじゃん。
なのに悩みは深まるばかり。
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