吉村昭のエッセイに、こんなくだりがあった。戦争・戦後・安保問題について、座談会に出てほしいという依頼を断るにあたり。

口頭で論争するのが嫌い。口から出る言葉が相手に十分伝達させられるかどうか心許ない。そうした言葉に対する不信感が書くという道を選ばせた。

確かにねぇ。
言葉は口から出た途端、嘘っぽくなる。口に出した途端、自分の心の中と乖離する。
でも、書いたらもっと責任が重くなる。責任がいつまでもついてまわる。

吉村昭は、むしろつらい方の道を選択したのではないだろうか…と思ってしまった。

もちろん吉村昭とは比べものにならないくらい読まれる範囲は限定的であるものの、仕事の多くの部分が書くことで占められている私は、言葉は「怖いもの」だと思っている。

それでも悲しいことに、たびたび失敗する。