英雄たちの選択「佐伯矩(さいき・ただす)」を見ました。
栄養学の父と言われる人。
1876年生まれで主に大正時代に活躍する。
1904年大根に含まれる消化酵素・ジアスターゼを発見する。
当時大根は低価格で無価値なものと思われていたが、胃腸の働きを良くする安価で良い働きをするものだった。
佐伯は医学を学ぶも治療で無く予防に目を向けた。
当時脚気が流行していたが、ビタミン欠乏とは考えておらず、細菌によるものだという風聞だった。
そこで栄養に対する正しい知識を得て、丈夫な体作りをすることを目指した。
1914年栄養研究所を設立。
当時の食卓はとにかく白米ごはんにおかず少々で、脚気になりやすかった。
そこで佐伯はビタミンなど栄養価の高い玄米に目を付ける。
玄米はかまだきでは炊き上がりが難しいので、玄米から白米への製造過程の七分搗米(しちぶつきまい)が安価で炊き上がりが良いとして推奨する。
さらに全国民の栄養状態を改善してもらうために、新聞に一日三食の献立表を掲載した。
そこにはタンパク質量やカロリーまで書かれていた。
栄養分の吸収を助ける油分が日本人に不足していたため、牛脂(脂肪分)を使って油を使う献立を考えて掲載した。
そこでフライパンが普及するようになった。
基礎代謝も計測し、一日に必要なカロリーも算出した。
栄養士を全国に育てて、子供たちの栄養改善のために学校給食を始めようとした。
パンに目を向け、魚粉(カルシウム)、ニンジン(ビタミン、カロチン)、甘みのためレーズン(アントシアニン)を混ぜて作って提供した。
子供の栄養状態が劇的に改善した。
しかし、学校給食の普及には広い厨房や調理師不足という難題にぶつかった。
さらに1923年関東大震災が起こり、深刻な食糧不足に直面した。
そこで国民は国の経済力を高めれば、豊富に食糧が得られ、栄養状態が改善すると考え出した。
しかし、佐伯は少ない食糧でも栄養バランスが良ければ改善できると感じていた。
そんな折、東北で冷害が起こり、子供たちの栄養状態が深刻化し、欠食児童が増加した。
1932年政府に訴えかけ全国に学校給食を普及させた。
日中戦争や昭和恐慌があって異例だと思ったが、戦争状態に突入して、健康な若者を欲したのと、若者の集団教育という思惑があったぽい。
戦後日本は飢餓状態だったが、終戦直後すぐに栄養士を国家資格として認定し、アメリカの支援により学校給食の再開にこぎつけた。
佐伯は経済が良いから栄養状態を良くするのでは無く、栄養が良いから健やかに働けて経済を良くすると言った。
だが佐伯はアメリカのアイスキャンディを見て飽食の時代がやってくることも予期した。
ちなみに自分の雑学
生体に最も必要なのはブドウ糖で脳、神経、血液に欠かせない。
血液中のブドウ糖を血糖値と呼ぶ。
脳が欲するので、砂糖を欲してしまうクセがある。
余分なグルコース(ブドウ糖)は筋肉や肝臓に貯蔵されさらに過剰になると脂肪に変換される。
運動をすると炭水化物を分解してグルコースに換えます。
激しい運動をするとATPが不足してピルビン酸が乳酸に変化して、筋肉疲労が起こる。
グルコースを解糖してできるピルビン酸がうまくアセチルCoAに変換されると、より多くのATPが作られ、長時間の運動が可能になる。これを有酸素運動という。
(ウソかホントか知らんけど・・・)
必須アミノ酸はロイシン、イソロイシン、バリン、リジン、スレオニン、トリプトファン、メチオニン、フェニルアラニンにアルギニンやヒスチジンを加えて約10種類。
ヒトの体内で作ることができない。
アミノ酸が高次合成されたものがタンパク質です。
卵、牛乳、肉、魚で必須アミノ酸は補充できます。
しかし動物性タンパク質に偏ると、コレステロールや飽和脂肪酸が増え動脈硬化の不安がある。
だから大豆など植物性タンパク質もバランス良く摂取すると良い。
タンパク質を取り過ぎたら、分解されて尿になる。
だから動物性タンパク質による負債に気をつけた方が良い。
ベジタリアンは野菜からでも必須アミノ酸を摂取できるが、何かが欠ける。
だからできれば乳製品も一緒に摂取した方が良い。
脂肪は一価不飽和脂肪酸が良く、オレイン酸が代表される。
オリーブ油、キャノーラ油、ピーナッツ、アーモンド、アボカドに含まれる。
コレステロールを低下させるが、善玉コレステロールは低下させない。
だから心筋梗塞の不安が低下する。
ただ食べ過ぎると、カロリーが多いがため、一日の必要カロリーを超えてしまうので太りやすくなる。
内臓脂肪を溜めすぎると、インスリンの効きを悪くして糖尿病を引き起こす。
糖尿病は目や腎臓や神経に十分な血液を送り込めなくする。
失明の危険や腎不全による人工透析や足の切断などの危機がある。
メタボリックシンドロームは実は怖い病気とも言えます。