鈴木潤吾さんの箱。
こんな遣い方もできます。
「LAMY」の赤い万年筆や、海で拾ったという木片、散歩のとき、
拾った小石を入れて。
人もまた、一面だけではわからないことがあります。
できれば、決めつけないで、柔軟に対していければと思いますが。
頑固ですねえ。
あれ?と思うことがあると、気持ちが離れてしまいます。
一方、チャラいと思っていた人が意外と、イケてることに気が付いたり。
人間関係って、面白いですね。
母とは、うまく、いかなかったけれど。
どんな人だったんだろうなあと考えることがあります。
彼女のプライドとか、楽しみとか。
あまり、理解できなかったようです。
親子だからと言って、愛し合えるとは、限りません。
亡くなった母に会いたいとは思いませんが。
母が生前、私に掛けた言葉が許せないのでしょうね。
でも、そんな事柄から、今は遠く離れてきました。
役に立たないとか、無神経だと言われたことが。
そうでもないことが自分でわかってきたからでしょうか。
母の言葉がすべてではありません。
親だから、愛情がある、理解してくれるというのは、妄想に過ぎません。
彼女は、ひとりの女性だったのですから。
こどもをありのままで愛する母親を見ると。
やはり、うらやましいと思います。
春は春の優しさがあり。
夏は夏の激しさがある。
秋の静けさ。
冬の厳しさ。
その四季を味わいながら。
冬は、必ず、春となる。
