なぜ、クラークスの靴を買ったかと言うと、今まで履いていた「NAOTO」の黒の靴が、底が固いので、膝を痛めることが多くなったからだ。

寄る年波ということだ。

 

天敵は、果たして、道を開くことができるだろうか。

 

私の10年は、必死だった。

彼女は、なんとかなると思っていたのではないか。

実は、なんとも、ならないのだ。

 

ちょっと、イヒヒという気持ちがないわけではない。

私もまったくの善人ではないゆえに。

 

だから、言ったじゃないかという気持ちはある。

 

しかし、まったくの悪人ではないので、同情を禁じ得ない。

現実というのは、厳しくて、一日一日の積み重ねが一年後に出る。

一日一日の積み重ねが10年後に出る。

 

毎日、ごみを拾い続け、手紙を書き続けた。

そして、今は、私に手紙を書かせてくれた知人たちに感謝している。

彼女たちがいなければ、私はこんなに頑張れなかったからだ。

 

私がこれから見る現実はどんなものだろうか。

ハッピーエンドを望んでいる。

 

まったくのひとごとというのは、ありえないからだ。

私たちは、どこかで、繋がっている。