ほんとうにいろいろなことがあって、錯綜しています。

最近感じることは、社会が悪い、政治が貧困だと言っても。

自分がどうかが一番、見ていかないといけないと決めています。

 

こんなことがありました。

近所の人の飼っている犬が散歩後、9回も吐き、歯茎を黒くなり、ぐったりした。

諏訪の動物病院で見てもらったが、手に負えず、松本の病院に搬送。

そのことを飼い主から、散歩のとき、聞いたとき、「毒だんごを食べたな」と直感しました。

町の区長に連絡して、そのことを話すと、「毒だんごと決まっているわけではない」と言われ、ごもっとも、と答えました。

が、飼い主の方に事情を聞いておいて、いただけますかと要望しました。

 

今日、朝、飼い主に会って、「どうでした?」と聞くと、持ち直して、命に別状はなく、食べれるようになったら、退院とのこと。

ほんとうにほっと、しました。

 

入院した話は、その日中に、犬を飼っている方に電話で連絡し、注意してくださいと。

 

医者の診断では、やはり、毒によるものとのことでした。

その日に、諏訪市役所の動物の担当に電話。経緯を話して、注意を喚呼してほしいと要望すると、それは、警察の範疇だとのこと。

 

見たわけでも、自分の犬でもなかったので、そこで、終わりました。

 

結果を犬を飼っている人に電話し、一件落着、ではないのですが。

 

犬を飼っている人にとっては、人ごとではありませんし、家族と思っています。

そのことがわかっているので、動き回ったのですが。

 

あと、確認すると、区長は、そのまま。

そして、飼い主は、自分が悪かったのだから、と。

 

私としては、区長に、この町内だけでも、事実確認、犬を飼っている方はご注意くださいという回覧を流せば、抑止力になります。

 

ひとつ。区長は、そこまで、考えない。

また、飼い主の人は、自分の犬のような目に他の犬を合わせたくないと思えば、黙ったままには、私だったら、しないと思いました。

 

人は、自分のことしか、考えない場合がある。

そこに、その人が表れると思いました。

 

今、政界が判断、行動、言動で、非難されていますが、それは、私たちではないかとも思います。

 

太郎の散歩のときは、水をボトルに入れて、持ち歩いています。

十分注意していますが、もしもの場合、水を飲ませます。

 

世界は、自分の一歩で、様相が変わってきます。

誰が悪いわけでもないなと思ったりする昨今です。

 

ひとつの出来事から、どこまで、想像し、行動できるかに、

その人の人生が形成されます。