【不登校の母】「わかってほしい」をやめた日。そこで初めて見えた"本当の愛"
「わかりたい」と思えば思うほど
子どもの心が遠く感じた。
でも本当に大切なことは
“わかること”ではないのかもしれません。
こんにちは。
UMIで心の学びをしている
はなともです![]()
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本との再会
先日、本棚を整理していて
一冊の本が目にとまりました。
『あかね色の空を見たよ ― 五年間の不登校から立ち上がって』
著者/堂野博之 発行所/高文研
いつ、どこで買ったのか思い出せず
とりあえず読んでみることにしました。
読み進めるうちに、
少しずつ思い出してきました。
長男が小学生だったころ
小学校の人権教育の一環で行われた
PTAの講演会で紹介された本でした。
そのときの私は
まさか我が子が不登校になるなんて
想像もしていませんでした。
それでも感動し
すぐにこの本を買いました。
時を経て読み返す
この本は1998年初版で
著者自身の体験をもとに描かれています。
1998年と現在を比べると
社会の不登校への見方は随分変わったと感じますが、
この本を読むと
不登校の子どもたちが抱える心の痛みは
今も昔も変わらないように思います。
特に前半
小学生の頃の詩と絵は
心の叫びがそのまま筆に乗せられていて
ページをめくるたび
私は胸がえぐられるような気持ちになりました。
母としての心の揺れ
この本には
不登校の子の心が描かれています。
学校に行けないことも
学校に行きたくないと思うことも苦しくて
学校に行っても苦しくて、
だけど親も先生も
学校に行けたら「よかった」という。
自分がこんなに苦しい世界にいることを
わかってもらえない絶望感が
胸の真ん中にずっしりと伝わってきました。
不登校の子にとってはこれがいちばん大きな苦しみなんじゃないか…
私はそう感じました。
長男が行きしぶるようになった4年前
私は必死でした。
・どうして学校に行きたくないのか
・何に苦しんでいるのか
・どうしたいと思っているのか
長男の気持ちをわかりたかった。
でも、どんなに話をしてもお互いわからなかったんです。
私は"私の気持ちはわかってもらえない"という
捉え癖(ブロック)を持っていました。
わかってもらえないブロックを持っていると
無意識にわかってもらえない話し方をするので
"わからない現実"をつくります。
気づき ― 尊重することが愛
"わかってもらえない"という
捉え癖(ブロック)が緩んだとき
私は気がつきました。
わからなくてもいいんだ。
たとえ我が子でも別人格。
わからないことはある。
大切なのは
"わかること"ではなく"尊重すること"
大人も子どもも
親も子も関係なく
"その人がその人であること"を尊重する。
変えようとせず
ありのままを受け止める。
それが、
誰もが心の底で求めているもの。
そのままの自分で愛される
ということだと。
長男の気持ちがわからなかった私。
でも、わからなくても、
私は長男を尊重すればよかったんだと
今は思います。
そして
他者を尊重するには
まず自分自身を尊重することから。
一歩ずつ
自分と向き合っていきましょうね。
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