ちょうど1年くらい前のこと。
元々我が家は
みんなよく話をするのですが
私が自分と向き合って
【話を聞く】ということが
できるようになってきた頃から
子どもたちの話す内容が
変わり始めました。
次男 :
今から小さい頃の
覚えている話をしようと思う![]()
なになに??
急にどうした??![]()
次男 : 保育園の時さぁ
実はこんなことがあって…![]()
でも、そのときは
これこれこういう風にしか
説明できなかった![]()
それで
母さんにはこーんな風に言われて、
違うんだけど!!
でもそれ以上言い方がわからなくて…
もう、終わった…![]()
![]()
って思ってたんだよ![]()
確かに内容は…
次男が大ピンチな話
私に伝わらなくて相当辛かっただろうと
思いました。
次男の話を私が理解できなかった理由は
次男が幼く
言葉が拙いからだけではありません。
私の固定観念が原因です。
自分の固定観念に当てはめて
その枠の中で次男の話を聞いていたので
当時(次男が保育園の頃)の私には
理解できなかったのです

理解できないというか
受け取り拒否というか…
いやいやあり得ないでしょ
という感じで
可能性を排除したのです。
誠に申し訳ありませんでした
そして、
次男がこの話を
6年も経って言いたくなったのは
保育園の頃はうまく説明できなくて
伝えられなかったけど
もっと上手に
伝えられるようになったからだそうです。
(次男の自己申告
)
でも…
それだけではないと思います。
私が
次男の話を聞くようになったから。
次男の話を受け止めるようになったから。
だから
言いたくなったのだと思います。
大人でもそうですよね。
話をする相手は
話を聞いてくれそうな相手を選びます。
内容によって話す相手を変えるし、
タイミングも考えます。
(無意識でやっていることもあります)
私が次男の話をじっくり聞いて
ジャッジせず
そのままを受け止めるということが
少しずつできるようになり
そういう経験を繰り返した結果、
ようやく次男は
母さんに話しても大丈夫だ![]()
と思えたんだろうと思います。
だけど…
保育園の頃の次男が
大ピンチだと気づけていなかった
当時の私の対応は
あまりにずさんだったと
6年経って知りました

あの話はそういうことだったんだ…
私 : 母さん、最低だね![]()
次男 : うん、最低だね![]()
私 : うん。最低。ごめんね…![]()
次男 : ううん。今話せてるから大丈夫![]()
ううう…ありがとう。
子どもは優しいですね。
もう、愛が大きくて
どんな私でも大好きでいてくれる。親から子へ、
無償の愛と言うけれど
子から親へも
無償の愛だと思うのでした。


