競馬の記憶といえば、今は亡きオグリキャップ全盛の頃、すなわち1988年である。初めて行った東京競馬場が、超満員で圧倒された。それはなんと東京優駿、ダービーの日であった。その後、時々競馬場に足を運ぶようになったのは偶然だが、あの時代の競馬に接することができたことも奇跡である。何しろバブル景気の時代であり、JRAの売り上げがこの数年後に4兆円という、過去最高を示す時代の前夜である。
 
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話をもとに戻すと、この時代に筆者が最も心を奪われたレースはジャパンカップであった。当時はまだ、招待馬という形式で外国で活躍する馬をJRA職員をはじめホースマンたちが社交の場で交渉する、という形式だったようだ。このレースが始まった1981年から数えて7年目のジャパンカップをライブで観戦したが、とにかく興奮した。そして今思うと、この頃のジャパンカップは、ある意味世界最高峰のレースと言っても過言ではないキャスティングだったのである。

アメリカ、イギリス、アイルランドなどの並み居る強豪に勝ったのは、なんとオセアニアから唯一出走してきた牝馬、ニュージーランドのホーリックスだったのだ。ゴール直前、オグリキャップとの死闘とも言える戦いは歴史に残る名場面である。当時の世界レコードで走破したことも大きな話題となった。

当稿は競馬を劇的に示すことが目的ではないので、思い出話はここまでとするが、この当時のジャパンカップが世界一のレースとなった理由はいくつか考えられる。