飯窪春菜について思うこと。。 | チョッキーQ.の『ハロプロ物語 feat. 工藤 遥』

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モーニング娘。を中心としたハロプロに関して自分が思ったことを、日記ではなくエッセイ風のまとまった文章でUPしています。
(鞘師里保と工藤遥の”卒業”など)


どこから書けばいいんだろう?…やっぱり10期メンバーの「元気印オーディション」からかな?
私が初めてはるなんを見たのは、テレビで放送されたあの「元気印オーディション」の合宿審査だった。
見るからに優しくて包容力がありそうで、しかも美しいその容姿に「本当はこういう人にモーニング娘。に入って欲しいんだが。。」と思った。
なぜ「本当は」かと言うと、彼女はその時すでに高校2年生で先輩である9期メンバーの誰よりも年上だったから。この人が入ったら9期メンバーとの人間関係が複雑になるから事務所も敬遠するのではないかと思った。
しかしその後の加入メンバーの人選を見ると、その考えはまったくのナンセンスだったことが分かる。この事務所はグループ内の人間関係がどんなにグチャグチャになろうとまったく気に留めないのだ。^^;
だから発表された10期合格者の中に飯窪春菜が入っていた時は、我が意を得たりと喜んだものだ。

 

…いや、正直に言うと私が一番喜んだのは、ハロプロエッグから初めて合宿審査に進んだ工藤遥が合格したことだった。この頃からすでに”どぅー推し”だったのだ。(その頃はまだ「どぅー」とは呼ばれてなかったが^^;)
しかしその頃の工藤遥はまだ小学生で未熟な部分が多く、最年少なのに10期を仕切ろうとしたりといわゆる”黒歴史時代”と言われる生意気な言動も多かった。
彼女だけではなく、石田亜佑美はダンスはうまいが気が強くて好戦的で先輩に対してもつっかかっていくようなところがあり、佐藤優樹に至っては未熟すぎるほど未熟で、彼女の面倒をみることはほとんど赤ん坊を育てるのに匹敵するような苦労があった。
こんなクセ者ぞろい問題児ぞろいの10期が他のどの期よりも強い絆を持つ”10期最高伝説”を作り上げたのは、飯窪春菜がいたからと言ってしまっても決して過言ではないと思う。
はるなんという人はそこにいるだけで周りに安心感を与えるような一種の”母性”のようなものを持っている。同期の特に小学生の2人にとってはるなんの存在は”第2の母親”とも言える大事なものだったのではないか。

 

2013年春ツアーファイナルの田中れいな卒業公演の舞台で、れいなから突然モーニング娘。のサブリーダーの発表があった。この時サブリーダーに指名されたのは、9期の譜久村聖そして10期の飯窪春菜だった。
先輩の生田衣梨奈をさしおいてのサブリーダー抜擢にはるなんはしきりに恐縮していたが、私はさすがにつんく♂はよく人を見ていると思った。この人選は道重をリーダーとして譜久村には9期を、そして飯窪には10期をまとめてほしいということだったのだろう。
はるなんのパフォーマンスに期待していたファンの方々には申し訳ないが、周りが彼女に求めていたのはセンターでばりばり歌って踊ることではなく、その優しく暖かい人間性だったのだろうと思う。グループがまとまっていくためにはそういう人が必要だったのだ。

 

モーニング娘。に入る前から彼女は家族や友達の前では自分のことを「ハル」という一人称で呼んでいたそうだ。しかしモーニング娘。ではそう呼んだことはない。なぜならモーニング娘。内では同期の工藤遥がいち早く自分を「ハル」と呼ぶ一人称を定着させてしまったからだ。

何も言わず使い慣れた呼び名を年下の同期に譲ったはるなん。こんなところにも彼女の優しさは現れている。

 

ここで唐突にガラッと話を変えるが、10期メンバーが加入して間もなく私は米澤穂信の『氷菓』というミステリー小説を読み始めた。これはいわゆる”古典部シリーズ”の第一作目で、当時アニメ化されていた結構な人気作だが、私はライトノベル系の作品を敬遠していたので、それまで読んでなかったのが読んでみると結構ハマってしまい、その後”古典部シリーズ”は去年発売された最新作『いまさら翼といわれても』まで全て読んだ。(最近、加賀楓のブログにもこのシリーズのことが書かれていたので覚えている方もいるだろう)

 

私は小説を読む時に主要な登場人物を頭の中のイメージに勝手に自分の好きなアイドルを配役することが多いが、この作品の主人公折木奉太郎を振り回して謎解きをさせるヒロイン千反田えるのイメージが私の中ではモーニング娘。に加入したばかりの飯窪春菜だった。
豪農千反田家の一人娘で清楚なお嬢様っぽいが目が大きくて顔立ちが派手で、クラスメイトに対しても敬語を使う丁寧な物腰が、私の持っている飯窪春菜のイメージと重なったのだ。
それ以来このシリーズを読む時は千反田えるのセリフは、頭の中で必ず飯窪春菜のかん高い声に変換されていた。
ちなみにこの作品は昨年映画化されたが、千反田えるの役が広瀬アリスだったのでスルーした。いや別に広瀬アリスが悪い訳ではないが、私の中では千反田えるのイメージは飯窪春菜以外には考えられなかったからだ。

 

 

去年、工藤遥の卒業が間近に迫った頃、ようやく念願の10期メンバーバスツアーが実現した。
普段は握手会にも滅多に参加しない私も、この時はどぅーに逢える数少ない機会を逃したくないので、思い切って参加した。
夜の富士急ハイランドでの自由行動で私は工藤遥を探している間にはるなんとすれ違った。間近で見たはるなんは神々しいほどに美しかった。容姿ももちろんだがそれ以上に内面から湧き出て来るオーラのようなものがすごかった。
はっきり言って、はるなんを取り巻くファンの数は他の3人に比べるとやや少なめだった。しかしそれは決して彼女の人気がないということではないと思う。
他のメンバーを推しメンにしている人でも、私のようにはるなんにはかなりの好意を持っている人は多いのではないか?センターになったり、ステージで目立った活躍をしなくてもいい。ただいつまでもそこにいて欲しい。そして自分の推しメンを見守っていて欲しい。そういう気持ちを持っている人が多いのではないかという気がする。そういう意味で実は一番多くの人に愛されているメンバーは飯窪春菜なのではないかという気がしてならない。

 

私は”はるなんが一推し”という方々に対して失礼なことを書いているだろうか?もしもそうなら本当に申し訳なく思い、幾重にも謝罪したい。ゴメンナサイ。m(__)m
ただこれは私が飯窪春菜という人に対して昔から抱いていた勝手なイメージであることを、どうかご理解いただきたい。

 

そんな飯窪春菜も先日とうとう卒業発表をした。
彼女の年齢から考えていつかこの日が、それもそう遠くない内に来るとは思っていた。しかし一番その日が来て欲しくない人でもあった。
あんなに涙もろいはるなんが自分の卒業をメンバーやファンに告げる時は涙を見せなかったということが石田亜佑美のブログに書かれていた。「そういえばはるなんって、いつも人のために涙を流していたかも」(”飯窪春菜ちゃん!石田亜佑美”2018-08-18  モーニング娘。‘18 天気組オフィシャルブログより)とも。さすがにあゆみんの見る目は鋭い。思い返してみるとその通りだった。

 

はるなんは人を褒めていい気持ちにさせるのが上手で、”太鼓持ちアイドル”などと呼ばれた。またそのストレスで、夜は一人枕を涙で濡らしているのではとも言われた。
しかしそれはあくまで単なるネタであり、本当ははるなんの人間性から自然に出た優しさであることをみんな分かっていた。
彼女の癒しオーラのようなものの恩恵を受けたのは、同期や後輩ばかりではない。リーダーの譜久村聖にとっても年上のはるなんがサブリーダーでいてくれることが精神的な支えになっていただろうし、メンバー以外でも昔からモーニング娘。を見てくれていた”しょこたん”こと中川翔子もはるなんの持つ”女神性”にいち早く気付き、真っ先に”はるなん推し”を表明した。
同期で5つも年下の工藤遥は彼女を実の姉のように慕って、ある日2人だけでの仕事帰りにポツンと「はるなんと一緒でよかった」と呟いて彼女を泣かせたりした。この2人はハルナとハルカで”ハリセンボンコンビ”などとも呼ばれたが、お互い実の姉妹のように思っていた。(”女神”と”天使”の姉妹だった ^。^)

 

しかしそんなふうに周りの人たちを幸せにして来たはるなんにも夢があった。芸能界でもっとやりたいことがいろいろとあった。そして今彼女は自分の夢を追いかけて一人で歩き出そうとしている。
米澤穂信の”古典部シリーズ”のヒロイン千反田えるは最新作の『いまさら翼といわれても』では、それまで農家の一人娘として家業を継ぐのが自分の役目と思って来たのが、両親から突然自由に生きていいと言われ「いまさら翼を与えられても…」ととまどいを見せた。
飯窪春菜は自分から翼を手にして大空へ飛び立とうとしている。今まで人のためグループのためにさんざん尽くしてきた彼女だけに、これからは自分自身のために生きて欲しい。そして彼女が向かう未来がたくさんの幸せで満ちあふれていることを願って止まない。そして最後にこれだけは言いたい。

 

ヤンチャな妹たちの面倒を見てくれてありがとう。

 

モーニング娘。に入ってくれて、本当にありがとう

 

 

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