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chocolate mom to be happy

be myself be happy
 life is too short and today is the good day to die
  and tomorrow will be much happier



今年に入ってから

ゲガして

体調不良になって

不登校問題にまた悩んで

そして会社都合の退職推奨になって

私は完全に落ちた。

 

自分ひとりで全部できると勝手に思っていたから、

ケガすることがこんなに日常生活に影響を及ぼすのかを痛感して。

 

そして続いてあのコロナの大感染を乗り切ったのに

子供からの感染でもう家の事がまわらない。

でも子供の食事も作らないといけないし、仕事もたくさんたまっていく。

掃除、洗濯はあきらめた。

ウーバーイーツや出前館に頼った。無理だった。

 

仕事失ってからは、仕事あっての私と思っていたので

私はこんなに頑張ったのにだめだったのかと自己否定を始める。

そもそも私のせいでなくて、会社都合のプロジェクトがうまくいかなくなってみんな解散って感じだったのだけど。

 

そこからはもう、毎日つらくて。

子供が学校いっている間は寝てばかり。

食欲もない。

でも子供が帰宅したら元気なふりをする。

 

でも、帰宅した時に具合悪い時もあり、自分が具合悪いのを久しぶりに見せたような気がする。

「私は病気になってはならない」

なぜなら

「私がいないと家がまわらないから」

って勝手に昔思ってた。

 

でも具合悪くなった時に

「ああ、洗濯機の使い方、教えておけばよかったかな」

とか

「もう少しみんなにお手伝いを教えておけばよかったかな」

と思った。

 

独りでがんばらなくていいのにね。

家族なのにね。

 

また、美味しいもの、食べにいけるまで復活したい。

 

 

翌日は不思議な「悲しみ」をココロに感じた。

 

 

なんとなくだけど自分の人生を振り返ってきて

ぐるぐるでてくる嫌な思い出を書き出して

インナーチャイルドを見つけたら

ほっとしてる。

 

あの頃の自分かあと。

 

そして、見つけた後、どうするんだろうと思って、去年だったか購入してみた

「小さな私」の癒し方(心理カウンセラーmasaさん著)をひっぱりだしてさっき、読みかえしてみた。

 

去年読んだ時はなるほど、という理解しかできなくてどうやって癒すかも

仕事も忙しくてまた、自分の事をほっておいてしまって

今、完全に落ちてしまったのだけど。

こうなる運命のような気がした。

「限界」ってあるのね。

 

読みかえしてみると、去年読んだ時よりも、ものすごく理解できた。

そしてリトルミー(インナーチャイルド)を見つけたらの目次のところを読んでみたら

タイムマシーンにのって傷ついた私に会いにいって、過去の私の気持ちに共感して、対話してくださいと記載してあった。

 

ああ、そういう事なのか。

リトルミーを癒せるのは今の私なのね。

 

本当に頑張ってきたね。

幼かった頃の私から今までの私。

 

 

 



ちゃんと自分で幸せというか

楽しい事ができる友達がいて。

 

ふと、気が付いたのだけど

そういう友達の親はともに仲良く元気で

成人した子供とはあたりまえなんだけど自立した生活をしてる。

 

「あなたがいないと家族がまわらないのよ」

 

みたいな感じではなくて、

子供を尊重して

自分達は子供の迷惑にならないように

幸せにいきてる

ような家庭。

 

すまん、子供達よ、そのような安心感がある家庭をつくれなかった。

 

でもね。

ママは君たちを応援するからね。

「無条件の愛」で。

生きてるだけでいい。

機能不全の家庭で育ち、アダルトチルドレンって言われたわたし。

 

こんな私が子育てできるのかと、また落ちる。

 

母のようになりたくない。

母のような子育てはしたくない。

いつもちゃんと子供の意見をきいてみたい。

 

でも「母」である前に「私」が幸せでないと

子供達も幸せになれないのかなと。

 

私の「母」は幸せになる方法がわからなかったのかと。

 

厳しい家庭の長女に生まれて、

やっぱり成果をださないと認められないような人だったのかと。

 

でも、それを子供にしてはならないと思う。

自分がつらいのであれば、それを子供に求めてはならない。

 

高校生の頃、下の兄弟の子のクラス飲み会にいった母が飲みすぎて

他の父兄の方が送ってきてくれた。

 

「ご迷惑おかけしましてすみません」

と私が母をベットにつれていく。

 

「みんな幸せなのに!なんでなの!」

と酔っぱらった母が泣く。かわいそうだなあと。

 

今ならわかるんだけど、

幸せは自分でつかむんだよ。

 

今、まさに私は幸せとは?に立ち向かってます。

さよなら、ママ。

とりあえず、今、落ちてる。

 

人生、最大に落ちてる。

 

たぶん、真実を知ってしまってから、また落ちてる。

 

もっと早く気がづいていれば?って思うのだけど、

なんとなくわかっていたけど

もしかして、自分が気が付きたくなかったのかも。

 

この人と結婚したら幸せになれるとか

子供うんだら幸せになれるとか

義父母に気に入られたら幸せになれるとか

 

私の中のインナーチャイルド、みつけたけど

どうすすめようか。

 

全ての事、小さな事よ、と笑いとばせるマインドがあったらいいのに。

 

 

今まで生きてきたけど

隠し事ばかりで

誰にも本当の事を言えなかったから

 

こうしてブログで自分の気持ちを書くことは、今まで思っていたモヤモヤの整理になっている。

 

そして、ちょっと勇気だして、友達にも言ってみたりしてる。

 

言える友達と言えない友達は線引きをして。

 

そういえば、カウンセラーの先生のところで境界線の引き方の冊子を購入した。

 

そうだ。私は境界線を引くのが下手なんだ。

 

ママ友が困っていたら、変に同情していろいろつくしてしまう。

そして、ママ友が幸せになったのに、勝手に裏切られたと思ってしまう。

これも歪んだココロなのか。

 

本当の優しさは「見返り」を求めない事ね。

またわかってしまった。

 

私は「見返り」を求められて生きてきたから、相手にもそのような「見返り」を求めてしまったんだと思う。

 

いやだったら付き合わなくていいのに、無理につきあったりとか。

 

これも、私が生きてきた歪んだ愛なのか。

こんなにしてるのに、なんでわかってくれないのって。

 

もう、それもやめた。



全くこれも予想してなかった事

でも、今ならわかるのかな。

 

小学校はいったとたん、まわりについていけない事がたくさんでてきた。

それまではみんなで楽しくすごしてきたのだけど、

やっぱりお勉強とか自己管理とか、かなり遅れてるのがわかった。

 

不登校にもいろんなタイプがあるかもしれないけど

彼女は確実にやれる事をやりつくて、

もう限界ですと「眠り姫」になった。

 

私がおくれなかったからか、楽しい学校生活を送って欲しいばかりに

無理やりつれていこうとしたり

学校いかない事をせめてしまった事もあった。

 

学校だけが全てでないのに。

みんなと旅行にいけるようにとか

卒業アルバムの写真にのれるようにとか

わざわざ、娘の友達よんで娘ともっと仲良くなってもらおうとか

なんか、必死だったな。

 

でも小学校を卒業する頃は表情も明るくなって。

だから、また期待してしまったんだ。

学校にいけるんだね。って。

 

今、また「眠り姫」の彼女。

 

 

親の所有物として生きてきた私。

 

そして私は、子供を所有物にしてはならないと思う。

 

赤ちゃん時代は終わったから、みんなそれぞれの時間をすごす。

 

それを寂しく思い、束縛してはいけない。

 

まるで母のように。

 

自由に生きてください。子供達よ。

 

時々、心配になりすぎてうるさいですが。

 

私のような子供時代を送ってほしくないので、自由に笑って生きてください。

 

何かあったら、相談して。

 

全速力で助けると怖いかもしれないので

ゆっくり、なにげなく、話ができるような親子関係を築いていきたい。

 

同じ事はくりかえしてはならないのだと思う。



夫と結婚してからも

別居してからも

まわりの夫婦が幸せそうに見えた。

 

自分の理想とは異なるからか。

 

いてもいなくてもかわらない存在だって。夫の事おもってた。

 

なので別居してからは、だいぶ楽になった。

だって、いるのにまわりの夫婦のように幸せそうになれないし、7

いないのなら、それはそれでいないからあきらめがつく。

 

この人ならと慎重に選んだはずなのだけど

また、今ならわかる。

 

母の許してくれそうな男性を選んでしまった事を。

そういえば、私はつきあう男性を母に紹介していた。

 

どこまでいい子だったんだろう。

そして、母は男性たちを品定めする。

 

歪んだ愛。