天文学の発展を40年遅らせた事件 | 柊の日々是好日

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Rion Hiragi

storyteller : researcher

最近、中世の天文学の記事を2つあげました。

その流れで、今日も天文学の世界から人間の【闇】を見てみましょう。

 

アカデミック界における

「妬み」についてです。

 

普通の会社員より

ドロドロしてそうですガーン

 

今回は、優秀な弟子を妬んでつぶしたばかりに

晩年その権威を失墜した

天文学会の重鎮・アーサー・エディントンと

つぶされた優秀すぎる弟子で後のノーベル賞受賞者

スブラマニアン・チャンドラセカール

に登場してもらいます。

 

「天文学を40年遅らせた」

という事件を見てみましょう。

 

今回も長いので、読みたい人だけ読んで下さい口笛

 

 

ブラックホールは20世紀最大の発見と言われています。

この謎を解明できれば、宇宙の謎さえ解けると言われているからです。

 

この扉を、80年前に開いたの人物がいます。

若き天才物理学者・チャンドラセカールです。

 

でも、権威と常識に逆らう発見は

以前紹介したコペルニクスやガリレオと同じ様に

闇に葬られる危険性と表裏一体です。

 

そして闇に葬りさった人物こそが、エディントン

 

二人は「星の死に方」について

意見が対立したのです。

 

まずは、それぞれの人生について見てみましょう。

 

エディントンは、今は老害のイメージが強いですけれど

彼は彼ですごい人です。

 

彼は2才のときに父親をなくし

あまり恵まれない子供時代を過ごします。

そこから猛勉強してケンブリッジ大学大学院に入り

31才で教授になり、翌年には天文台長にもなります。

 

英国王立天文学会のメダルを獲得したり

はてはナイトの称号を叙されたり

イギリス天文学会の重鎮だったんです。

 

実際功績も素晴らしく

核融合が生み出される12年も前に

「太陽はガスのかたまりから出来ていて、そのエネルギーは

核融合から生み出されている」と述べていますし

 

なんといっても、アインシュタインの【相対性理論】を

世界で初めて観測したのがエディントンなのです。

 

つまり、20世紀最大の物理学者アインシュタインが

足を向けて寝られないのが、エディントンな訳だ。

 

そんな彼が一生をかけて追求していたのが

「星の一生」について。

特に「星が死ぬ時」、どうなるのかというのがテーマだったんです。

 

当時50才のエディントンは

「全ての恒星は白色矮星になり、小さな岩になる」

と考えられていました。

 

*「白色矮星」とは、恒星が滅びる最後にとりえる形態の1つで、

非常に高密度の天体です。例えば、1立方cmの重さが10t以上になります。

 

エディントンが書いた『星の内部構造』は世界中でベストセラーとなり

その一冊をむさぼるように読んだのが、チャンドラセカールです。

 

チャンドラセカールは、インドの上位カースト【バラモン】に生まれます。

数学が得意で、幼い頃から神童と呼ばれました。

(ちなみに叔父は、インド人で初めてノーベル賞を受賞した人物です)

 

チャンドラセカールは、当時最先端だった量子物理学に夢中になり

19才で英国ケンブリッジに留学します。

 

そして英国に向かう船の上で、ふと

「恒星全部が白色矮星にはならないんじゃないか?」

と計算し始めました。

そしてエディントンと違う理論を発見してしまったのです。

 

それは

「ある質量を越えた巨大な星は、自らの重力で永遠に潰れ続ける」

というものでした。

 

イギリス到着後、チャンドラセカールは憧れのエディントンに師事します。

チャンドラセカールはピュアで学問だけを追求していたのですが

エディントンはそうではありませんでした。

 

年を追うごとに量子力学の計算精度が上がり

自分の理論と対立するチャンドラセカールの論文に

大きな危機感を抱き始めたのです。

 

もう、嫉妬が発生する条件がそろいすぎているんですね。

 

① 同じ分野

② 同性

③ 自分より目下に追い抜かれそうになる

 

特に③です。年齢は30才も年下。

立場も英国天文学会の重鎮といち研究者。

インドを植民地にしていた国と支配されていた国。

 

チャンドラセカールの理論が正しければ

エディントンの研究に泥がつきます。

 

ここでエディントンは

チャンドラセカールつぶしのシナリオを描きます。

 

まず、チャンドラセカールに

「君の論文は素晴らしい!」とほめて

 

まだ高価だった計算機を手配し

週に何度もチャンドラセカールの研究室に赴き(偵察のため)

味方のフリをして完全に油断させます。

 

そして仕上げ。

1934年に正式な理論が完成した段階で

ロンドン王立天文学協会の大会で

チャンドラセカールに発表の場を用意したのです。

 

普通の人の倍の時間を用意し

また

人が集まりやすい夕方の時間を当てがいました。

 

なぜか?

 

エディントンはその直後に自分の発表を入れ

大勢の面前で、チャンドラセカールを潰したかったからです。

 

ムキー

 

18時半。

会場には天文学会のそうそうたるメンバーが顔を揃えていました。

そこでチャンドラセカールは

「全ての星が白色矮星になる訳ではない。巨大な星は潰れ続け

小さな"点"になる」と発表します。

 

世界で初めて、のちのブラックホールにつながる発表をしたのです。

けれど、この理論は当時先駆的すぎました。

内容を理解してくれる人は、ほとんどいなかったのです。

 

そしてその直後、エディントンが発表します。

「チャンドラセカールの理論は実に馬鹿げている!

小さな点になるなどありえない。自然の法則は、そんな馬鹿な動きはしない」

というと、会場はバカにしたような笑いにつつまれたと言います。

 

当時は、エディントンが右を向けと言えば

全員が右を向く様な雰囲気だったのです。

 

もう、書いてるだけで腹立ってくるんですけど〜!

 

チャンドラセカールの理論はそれ以上議論が深まることはなく

彼は英国の天文学会で孤立していきます。

 

そして彼は米国に研究の拠点を移すのです。

そして本を出すと、またエディントンが噛み付いてくるのです。

 

「これだけ間違った内容が、一冊の本にまとめられたのはいいことだ」

 

あぁ〜!!ムカつく奴!!

 

チャンドラセカールも相当参ったのでしょう。

彼は、白色矮星の研究を封印したのです。

 

邪魔者が消えたエディントン。

晩年も自分の研究に邁進するのですが、その理論にはほころびが見えていました。

そのほころびは誰の目から見ても明らかになっていましたが

エディントンはその声に耳を貸さず

結局「基本理論」と呼ばれた集大成は完成する事がなかったのです。

 

そして、チャンドラセカールに光を当てたのが

一見何の関係もなさそうな「水爆研究」でした。

 

水爆研究のデータを参照していくと

「惑星は永遠と潰れ続ける」ことが証明されたのです。

 

「質量が太陽の30倍を越える恒星は、永遠につぶれ続ける」

という、ブラックホール理論の誕生です。

 

この発見で、チャンドラセカールは

1983年にノーベル物理学賞を受賞します。

 

時間はかかったけど

何が正しいかは社会が証明してくれるのです。

 

エディントンはチャンドラセカールに

共同研究を持ちかけることも出来たはずです。

 

チャンドラセカール自身も

「エディントンがブラックホールを受け入れていたら

最初にブラックホールを発見したのは彼だったろう」

と語っています。

 

そしたら、エディントンだって

ノーベル賞を獲得できていたはず。

 

私も拙著の中で

「ライバルは潰す存在ではなく

自分の力を伸ばしてくれる最高の味方である」

と書かせて頂きました。

 

誰かをつぶせば、その報いは結局自分に返ってきます。

 

自分がつぶしたところで自分の力が伸びる訳ではないし

自分以外にライバルを認めてくれる人が

世の中には数えきれないほどいるからです。

 

だからもし今

誰かをつぶそうとしている人がいたら

即刻やめましょう。

 

そして

有害な人物につぶされかかっている人がいたら

あなたの力を見つけてくれる人はたくさんいますから

あせらず、時を待ちましょう。

 

 

参照:

NHK BS 『フランケンシュタインの誘惑 科学史闇の事件簿』

『ブラックホールを見つけた男』 アーサー・J・ミラー