不安しかない | 大好きな母ががんになった時

大好きな母ががんになった時

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病院に行きました。



母は口を開けて寝ていました。

去年、胃がんで亡くなった母の兄の姿を思い出しました。

おとといより、さらに悪くなっていたことにびっくりしました。

今までは、口は閉じていました。

やって欲しいことを言っていました。

お水、早く。急いで。
ここまで入れて

とか…。



看護師さんの話によると

昨日、今日とおしっこが自然に出ず、取ってもらっているそうです。

血圧が昨日は100から70くらいを行ったり来たりしていたと。
今日は100くらいで少し安定したそうです。

母は高血圧で、薬を飲んでいたのに。
低い。



少しの間、目を開けたのでお水をあげました。
口が開いていたので乾燥していると思ったからです。

「ストローくん」という、寝たまま飲める容器を持って行ったのがおとといのことです。

おとといは自分で持ってお水を飲んでいました。


今日は持つこともできず、ストローを吸って飲もうとしていましたが、吸う力がなく飲めませんでした。

スプーンですくって飲ませてあげました。

お家にいたとき、いつも氷を入れて飲んでいたので、今日は氷を買い、冷たくしてみました。
量は少ないけど、何回も飲んでくれました。


「氷」と言うので、小さくなったものを口に入れてあげると、コロコロ動かして、ガリガリと食べてくれました。



その後、ホットタオルで足とひざ下まで拭いてあげました。

足は包み込むように温めて、その後指を1本ずつマッサージをしながら拭きました。




今日は、看護師さんが指で測る酸素濃度の機械で、何度も何度も測りにきていました。

85パーセントくらいだったので酸素量を上げていました。

それでも濃度はあまり上がらず、痰もあったようで、看護師さん2人で機械で取りました。


とても苦しそうでした。
準備をするために、看護師さんが病室を出ると


苦しい、苦しい

と何度も言っていました。


苦しいね、
もうすぐ楽になるよ
大丈夫だよ


と手を握って声をかけました。



処置をしている時、私は看護師さんの影にいました。

管を鼻から入れていたようでした。

苦しかったのでしょう。
手で

もういい、もういい

とやっていたのがわかりました。


一度やめて、また看護師さんが


もう一回だけやってみようね 
楽になるからね


と優しく説明して、またチャレンジしていました。
管は口からになったようでした。
 
吸う音がして、痰がきちんと取れたようでした。

よく頑張ったねー
頑張ったよー!
辛かったねー
きちんと取れたからね

と看護師さんが母に話しているのを聞いていて
涙が出てしまいました。


でも、少しは楽になったのでしょうか。
 

今何時?

と聞いてきました。

5時過ぎだよ

と時計を見せると怒り出しました。


母は私が夕方まで病院にいることを、病気になった当初から嫌がっていました。


私が疲れることを心配するのです。
早く家に帰り、休んで欲しいからなのです。

すごい顔で睨まれ、

もういいから
もういいから


と言うので、私は帰ることにしました。
もう、病院の近くに泊まってそこから通いたい。




今日は、私がいる間は看護師さんが出たり入ったりとバタバタしていました。

何分かおきに、測りにきていました。

何度も血中酸素濃度を測っては、4リットルまで酸素量をあげていました。

途中、マスクにもしたのですが、自分でマスクを外してしまい、またチューブのものになっていました。

母はとても苦しいのです。

こんなに不安になったことはありません。


明日も半休で病院に行きます。


まとまりのない、長い文章ですみませんでした。
不安です。