グッド・タイム(Good Time) | CAHIER DE CHOCOLAT

グッド・タイム(Good Time)

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ひとつ嘘をつくと、それをごまかすために次の嘘をつかなければならなくなる。嘘は嘘でしかないから、どこまで重ねてもほんとうにはならない。最後には嘘で塗り固められて息ができなくなる。最初から最後まで張りつめた空気に時々息苦しくなって、何度か深呼吸をした。観終わってからもうまく息ができない感じが少し残っていて、今また深呼吸をしてちょっと考えている。ひとつのことも見る位置や見方によって違って見える。社会のルールや道徳を外して考えてみたら、あるいは、それらが違っていたら、何が良くて何が良くないのかなんてわからなくなる。複数の人間がいたら、ものごとの感じ方もそれぞれ違う。例えば、この映画の主人公について。

A. 主人公のコニーは弟思いで、頭が良くて、機転がきいて、瞬時にものごとを判断できて、コミュニュケーション能力も身体能力も高い。犬にも好かれる。

B. 主人公のコニーは自分と弟のことしか考えてなくて、嘘つきで、ごまかすのが上手で、ずる賢くて、逃げ足が速い。犬を手なずけるのがうまい。

どちらもコニーという人間だけれど、どの方向から見るかによって違ってくる。Aをわかっていても、Bには複雑な気持ちになるし、Bは良くないと思いつつも、Aを知っていると一方的に裁くような見方はできない。片方の側面だけに感情移入して観られれば、これほど苦しくはないのかもしれない。良いと思ってやっていることは相手にとってほんとうにいいことの場合もあるし、相手のためのようでいて実は自分のためのこともある。まるでぐじゃぐじゃにからまったテープのA面とB面が交互に現われてくるようなロブの演技に、私は混乱していた。その口から放たれる英語も、画面を見ずに聞いたら違う人だと思ったんじゃないかというくらいだった。観ていて、ふと、「こんな、パジャマ着て、クッションにもたれて観ていていいのだろうか……」と思った。映画を観てこんなふうに思ったのは初めてだった。