シークレット・オブ・モンスター(The Childhood of a Leader) | CAHIER DE CHOCOLAT

シークレット・オブ・モンスター(The Childhood of a Leader)

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2016年の公開時に情報を見かけたとき、これは観ようと思っていた……けど、観てなかった作品でした。主役の男の子の可愛らしさとクラッシックなスチールと『シークレット・オブ・モンスター』というタイトルで、少年に不思議な力があるとかそういうお話だと思っていたら、まったく違いました。原題は『The Childhood of a Leader』。ぜんぜん違うじゃないですか。四部構成になっていて、終始ひんやりした不穏な空気が漂う中、少年の両親への反抗的な行動がだんだんエスカレートしていきます。何を考えているのかわからない恐ろしささえ感じさせる美しい少年。唯一の仲良しはお手伝いのモナだけ(このモナとのシーンが良いんです。祖母との記憶が蘇ってきてしまった)。もう半分以上過ぎたころ、ふと、彼は誰にも名前を呼ばれてない……?と気づきましたが、最後15分くらいのところで初めて母親に名前を呼ばれます。そして、それがラストシーンでカチッとはまるピースになります。

ここから結末に触れます。ネタバレ回避したい方はストップして下さい。原作はジャン=ポール・サルトルの短編小説『一指導者の幼年時代(L'Enfance d'un chef)』、癇癪持ちのひとりの少年がヒトラーを思わせる独裁者になるという物語。四部構成のそれぞれに、The First Tantrum / A Sign to Things Come(最初の癇癪/来るべきものの予兆)、The First Tantrum / A New Year)(第2の癇癪/新しい年)、The Third Tantrum / "It's a dragon..."(第3の癇癪/“1頭のドラゴン”)、A New Era or Prescott, the basterd(新しい時代/あるいは私生児プレスコット)というタイトルがついています。第4部では、母親が呼んだ「プレスコット」という名前を群衆が連呼している。そこで姿を現わすのが、独裁者、プレスコット。プレスコットは父親の友人であるチャールズと母親の間の子どもだったということがわかります。なぜそれがはっきりわかるのかというと、チャールズと独裁者のプレスコットはロバート・パティンソンの一人二役だからです。ここで、これまでの彼を取り巻く人々の関係性と彼の反抗の理由がようやくつながって、思わずはっとなったところで映画はすぱっと終わります。独裁者となって登場したシーンはほんの数分とかなり短いにもかかわらず、表情のない目の冷たさと短いことばが感じさせるいら立ちが子どもの頃のプレスコットと重なって見えたのはすごかった。