シティポップ、80年代日本の楽観的なディスコミュージックは欧米で新しい若いファンを得た | CAHIER DE CHOCOLAT

シティポップ、80年代日本の楽観的なディスコミュージックは欧米で新しい若いファンを得た

[ORIGINAL]
City Pop, the optimistic disco of 1980s Japan, finds a new young crowd in the West
Posted By Luke Winkie on 01.11.19 at 01:09 PM
https://www.chicagoreader.com/Bleader/archives/2019/01/11/city-pop-the-optimistic-disco-of-1980s-japan-finds-a-new-young-crowd-in-the-west



シティポップ、80年代日本の楽観的なディスコミュージックは欧米で新しい若いファンを得た


シティポップ・スター、杏里(杏里のFacebookページより)


1月13日(日)、日本のシンガー、杏里(57)はアメリカ中西部という珍しい場所でコンサートを行なった。ルネッサンス・シャンバーグ・コンベンション・センター・ホテルでのこのコンサートのチケットはソールドアウトだった。80年代半ば、長く続いていた戦後の好景気の最後の数年を楽しんでいた日本で、杏里は“シティポップ”の決定打的シンガーのひとりだった。“シティポップ”とは、キラキラした炭酸の泡のような幸福感あるエレクトロニックディスコの形態で、新しい日本の楽観的な精神が吹き込まれており、マイケル・ジャクソンやドナ・サマーなどのアメリカのスーパースターたちからもヒントを得ている。それはサウンドに濃縮されたその国の野望だった。そして、杏里はそれにうってつけのペルソナを備えていた。彼女はゴージャスで、セクシーで、洗練されていて、そんな彼女の世界で人々を魅了しつつも、常に申し分なく日本人だった。彼女は10年間で数々のヒットソングを送り出したが、90年代、魔法のような日本の経済成長が減速し始めると、シティポップも勢いを失っていった。シティポップというジャンルはディスコと同様に、日本で急速に廃れた。シカゴを拠点とするDJ、Van Paugamがいなければ、おそらくこの音楽がアメリカの人々の耳に届くことはなかっただろう。Paugamは欧米の新しい世代の人々に向けてシティポップを蘇らせることをライフワークとしているのだ。

ざっくりと分けると、Paugamが出しているものは、lo-fi hip-hopブームや静な盛り上がりを見せているsynthwaveシーンのYouTube DJたちと同じカテゴリーになるだろう。彼のチャンネルには、色々なミックス、そして、コミュニティの熱狂的なリスナーに向けて、シティポップのヒット曲がどんどん流れてくるライブ“ラジオ”フィードがある。(配信されている動画の映像は車のダッシュボードから映した東京の道路の様子で、若くて、仕事をバリバリやっていて、リッチになった通勤者のサウンドトラックとしてのシティポップ、その歴史へのトリビュートとなっている) Paugamがシティポップと出会ったのは、vaporwave*リンク先和訳記事)のいくつかの好きな曲の中で使われているサンプルのもとを探していたときだった。vaporwaveでは、日本以外の場所ではほとんど知る人がいないシティポップから抜き出したMIDIのホーンとチープなキーボードのベースラインが多く使われていた。確実に日本の遺産だといえるシティポップのシルキーでひたむきなグルーヴに彼は魅了され、可能な限り多くの太平洋の向こう側の作品を集めることを自身のミッションとした。



古いシティポップをサンプルにして作られる現在レコーディングされたものの多くでは、そのもととなった素材については不明なままだ、とPaugamは説明する。「その音楽を見つけるために、僕と日本に住んでいる友人の間で作業をしました」と彼は言う。「僕たちはレコードを送ったり、受け取ったり、また、オンラインや実店舗のレコードショップの協力も得ました。そして徐々にこの小さなジャンルのルーツが明らかになってきたんです」

ほとんどのシティポップはSpotifyやApple Musicなどのようなストリーミングザービスにはまずない。そこでPaugamは、Discogsのしばらく誰も聴いていないような視聴を聴いて、よりレアなレコードの多くを見つけた。コンディション良く残っているのは1〜2枚しかないこともあった。「こういったレコードは、もっとたくさんの人たちがこのジャンルを見つけて価格が高騰する前に絶対に確保しなければなりません」と彼は言う。彼の熱心な活動はそのYouTubeの数字に表れている。2年前は80人ほどだったチャンネル登録者は現在は88,000人、一番人気がある彼のミックスの再生回数は700,000回を超えている。



「すべての人が僕の出すミックスのジャンルやスタイルを理解してくれているかはわかりません。僕は常に人が知らないようなジャンルに手を出してきているんですけど、シティポップの再ブームまでは、僕のやっていたものはあまり多くの人に聴かれたことがありませんでした」とPaugamは言う。「僕は、インターネットの外の、主流ではないサウンドで実験している飢え死にしそうなアーティストとおんなじようなものです。だからたくさんのファンがつくとか期待したことはありません。今はシティポップと僕のチャンネル周辺に作られた大きなコミュニティがあるみたいです。素晴らしいことだけど、同時にちょっと混乱もしています」

Redditのsubredditである“r/CityPop”の登録者は、2016年の始めの50人から9,000人以上にまで跳ね上がった。Paugamは彼の作品をオフラインにも持ち出し、現在、シカゴ周辺のMurasaki Sake LoungeTodos Santosなどで定期的にCity Pop DJ nightsを行なっている。シティポップは、Maria Cecilia Pimentelによる短いドキュメンタリー“Hisashiburi CityPop”にも取り上げられたばかりだ。欧米のオーディエンスにシティポップの歴史が語られたのはおそらく初めてだろう。ゆっくりと、しかし確実に、Paugramをとりこにしたものは広がりを見せている。



基本的にシティポップはその絶頂ののち、すぐに衰退してしまっているものなので、そのリソースはそのうち出尽くすだろう。どうやっても、80年代の日本のポップミュージックをこれ以上作り出すことはできない。それが、数十年後に初めて欧米でシティポップが共感を得たことをより神秘的にさえもしている。これはこのジャンルの起源となるところとそこから遠く離れた(少なくともひとつの海を隔てた)ところのふたつの若い世代の人々のコミュニティによるところが大きい。このコミュニティのファンは杏里のようなアーティストの一度限りのアメリカでのショウをブッキングすることもできた。しかし、80年代の渋谷のナイトライフビジネスに携わっていたクラブオーナー、Yasu Hiroseの助けなしではそれは実現しなかっただろう。シティポップが東京を席巻していたとき、Hiroseはその周辺にいた人物だ。Paugamはクラブでのギグでたまたま彼と知り合った。Paugamの記憶によると、セットのあと、Hiroseは興奮した様子で彼を呼び止め、ビジネスと当時のシティポップ・アーティストたちとのつき合いの話をたっぷりと聞かせてくれたという。レコードジャケットと荒い画質のYouTubeの動画でしか知らなかったシンガーやソングライターたちだ。何度かの電話でのやり取りののち、杏里は公演を承諾してくれた。



自身をスターにしたジャンルは衰退したが、杏里は日本で活動を続けており、1978年から平均して毎年1枚のアルバムをリリースしている(多くのシティポップファンが彼女の最高傑作だと言っているのは、見事にブリージーな1983年リリースの『Timely!!』。このアルバムはシティポップの美学のブループリントのような作品だ) しかし、欧米の人々彼女を1998年の長野冬季オリンピックの閉会式の歌の人だと思っている、あるいは、グラミー賞受賞歌手、アメリカンジャズ・フュージョン・ギタリストのリー・リトナーとの婚約(2002年、杏里のアルバム『SMOOTH JAM -Quiet Storm-』のレコーディングをきっかけに交際が始まった)については知っているかもしれない。しかし、日本国外では彼女についてはほとんど知られていない。杏里にとって、この一度限りのシカゴでの公演は彼女のキャリアの新しい時代の幕開けだといえるだろう。

アメリカでシティポップへの興味が高まっているのは、定期的なポップカルチャーのリサイクルで、人々が自分たちの過去に対するノスタルジーに対して麻痺した状態になっているからだとPaugamは考えている。アメリカ人は自分たち自身の思い出にまつわる情報を大量に受け取っている。どの映画シリーズもリブートする。どのバンドも再結成する。常に次の『ターミネーター』がすぐそこにある、みたいな状態なのだ。「みんな商業化されたアメリカの70年代と80年代にどっぷりつかっているから、若い世代の人たちは当時実際にどんなふうだったのか、そのまとまった印象を持つこともできないんです」とPaugamは嘆く。「シティポップにはちょうど、かつて僕たちが持っていて、でも、極端に商業化されていないもの、そのまだ手をつけられていない、まだ汚されていないバージョンのように響く欧米の影響がじゅうぶんにあったんです。シティポップの純度が人々をひきつけるのだと思います。自分たちが経験したものではない時代と場所の思い出にひたり、懐かしさを感じることさえできるという事実は、多くの人々にとって新しいことです」

近頃、ノスタルジアとアイロニーは常にセットにして扱われているように感じることもあるが、シティポップはアメリカのリスナーの皮肉さを清めているようにも思える。その音楽は完全にここに属してはいないし、よその国の軽やかで希望に満ちたポップ・ミュージックを30年経ってより魅力的にパッケージングし直すことについては植民地主義的なものもあるかもしれない。しかし、Paugamのファンドムはとてもナードで熱狂的なので、それを何か失礼なものとして見るのは難しい。それに、杏里がデビュー40年後に新たな地を開拓するのを手伝ってもいる。

「シティポップはとても良い、とてもリアルな音楽で、すべての世代につながっています」とHiroseは言う。「歴史はくり返すんですよ!」





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(* )の部分は追加しています。