こんばんは。鈴木です。
深夜に取り組みをしながら聖書を書いていると、22歳の青年のためにブログを書こうと思いました。
今日ラインで「新天地」という韓国の新興宗教が問題になりニュースでやっていて、それに対しての質問の返答を聖書の御言葉を交えながら説明しようと思いました。
しかしそれとは別に、前回の礼拝で牧師が取り上げた「ヨハネの黙示録」の22章7節、
「見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」
という御言葉に関する話を書きたいと思ったので、先に書きたいと思います。
これはイエス様がすぐに来られるので、予言の言葉を守るようにという意味と取るのが普通ですが、それとは別にこの言葉で思い出すのが、部屋で一人悩み祈っている時に、
「わかった。お前は部屋を片付けろ。」
という声が聞こえた後、その声の主(ぬし)はどこかに行くような感じを、これまでの人生で何回かあった事です。
最近ではコロナ前に中野区の当時の自分の部屋で
「せっかく大崎の某企業の本社で仕事が出来ていたのに、そこの責任者のように働きながら大学に行き、2つの大学を卒業したりしたいのに、変なリーダーのせいで行けなくなってしまった。何よりまだ高卒認定の数学の試験を合格していないけど、今は仕事も出来ない。どうしたらいいんでしょうか。」
と祈っていた所、何かが私の近くで
「わかった。あとは俺が何とかする。お前は部屋を片付けろ。」
と言った後、部屋の向こうの方にビュウとすごいスピードで移動していきました。
それよりも数年前、静岡の自分の部屋で横になっていると何かが近づいてきて部屋の壁など関係なくすごいスピードで目の前を通り過ぎて行ったという事があり、中野区の部屋ではそれと同じようなスピードで移動していったので、同じ人?ではないかと思ったのです。
静岡の自分の部屋では当時はまだクリスチャンでは無く、縁起担ぎのため小さな龍の像を玄関に置き願をかけていたため(今思えば偶像崇拝です)、「龍が目の前を通り過ぎていった。」と喜んだのですが、中野区では男の声が聞こえた後だったので龍ではない事がわかったのですが、あの逞しくも優しい声は、もしかしたら数年前にガンで亡くなってしまった父の霊なのでは無いかと思っていたのです。
しかしもしかしたらそれはイエス様だったのかも知れないと最近は思うようになりました。
礼拝中、牧師が恐らくある聖書の箇所を読んでいる途中に
「お前は部屋を片付けろ」
と言われ、
「ハッ!?あの声と同じだ。」
と思ったのです。
しかし電子版新改訳聖書 第三版を「部屋で」とか「片付け」で検索してもそれらしい箇所は出てきません。
YouVersionの口語訳、新共同訳で同じように検索しても出て来ません。
私達の牧師は
「主イエス様は、クリスチャンやノンクリスチャン、TVやネット、雑誌や漫画も使ってメッセージを送って下さる。」
このように教えて下さった事もあり、やはりあの
「お前は部屋を片付けろ。」
という声はイエス様の声だったのではないかと思うのです。
あの力強く優しい声は、亡くなってしまった故郷の声と良く似ています。
イエス様が本当の父と呼ばれるのは、もっともだと思います。
他にも色々な経験がありますけれど、今日はこの辺で......。
鈴木でした。