基本的に、人間は「ポジティブなもの」に
惹かれますよね?

「恐怖」「脅し」「強制」で進んで動く人間は
いません。

それはウクライナ侵略で自由を奪われた人々
を見れば
「自由な言論・思想」「希望」こそ、
人間の尊厳でもあり、生きる源です。
人は自由を希求する生き物です。

話が大仰になってしまいましたが・・・

なぜこんなことを書くか、というと
最近の「政治と宗教」問題で、宗教の負の面が
大きくクローズアップされているからです。

「寄付しないと天国に行けない」

「試練は全部サタンから来るのだ」

何の根拠があるのでしょう。。


熱心な仏教系の友人と話す機会がありました。

「投票すれば来世に功徳を積むことができる」

「墓参りをしないと先祖に祟られる」

「前世の行いが悪いと来世は皮膚病の犬か
餓鬼畜生となる」

はああ・・・
皮膚病の犬にはお目にかかれる機会はないけど・・

おぉ!そうか!!
墓参り頑張ろう、いいことして極楽浄土に行こう!
となりますかね?

恐怖心で人間をコントロールしようとしているだけ
だと思います。

聖書を素直に読んでいくと、聖書の神が
いかに人間のことを愛してくれているのか、
困難な事態にどんな知恵で切り抜けるのか、
多くのアドバイスが書かれています。

実際イエスの弟子ヨハネは

「神は愛です」

と書いています。

キリスト教や聖書やイエスに惹かれる人は
そうしたポジティブなものに魅力を感じるのでは
ないでしょうか。

何を信じるかは自由です。
でも、これだけは声を大にして言いたい。

「地獄」なんて、人間が勝手に考え出した
妄想で、なあーんも意味ないよ、と。

神への愛から引き離すだけです。

誰も喜ばない、ダレトクもない教えだと
思います。敢えて言うなら・・・
得するのは法事でおカネをもらうお坊さん。

まぁ何を信じるかは自由です。

勿論、聖書も
「やがて悪人はいなくなる」
とあります。
聖書の言う、、
「悔い改めなさい。天の王国は近づいた」
というのはそのためです。

しかし、ソロモンの伝道の書で
「人は死んだら意識はもはやない」

ローマ人への手紙では
「罪の報いは死」ときっぱり書いています。

人は死んだら、全ての罪はチャラです。

宗教は処罰を恐れ自分を制するのではなく、
受け取った希望から、ポジティブな行動を
するためのものだと思います。

今回もお読みいただきありがとうございました。

 

恐怖心で人を支配するやり方は

フェアではありません。